愛知4商時代 中京商が初出場から3連覇するエース・吉田正男力投

●愛知県勢甲子園高校野球戦績上位校
・優勝
愛知一中(旭丘)第3回選手権大会
中京商(中京大中京)第17回、第18回、第19回選手権大会
第23回、第36回、第48回、第91回選手権大会
・愛知県勢甲子園高校野球出場回数上位校
中京大中京28回、東邦17回、愛工大名電11回
・愛知県勢甲子園高校野球初出場校
愛知四中 第2回選手権大会
・愛知県勢甲子園高校野球初勝利校
愛知一中 第3回選手権大会

第18回選手権大会。決勝を前にして握手をかわす中京商の
主将・吉田正男、平安中の主将・波利熊雄。

第19回選手権大会決勝の松山商戦。
中京商の桜井寅二は二盗をしかける。悪送球を誘い三進。

第44回選手権大会。中京商の捕手・木俣達彦は4強入りに貢献。
後になって中日で頭角を現す。

第64回選手権大会。準々決勝の津久見戦で力投する中京の中徹博。
2年生ではあるが伝統校のエースの重責を担った。

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雑誌記者が着席する甲子園球場の記者席に、小柄だけど凛々しい姿があった。

「まだ早朝野球に携わっているんだよ」といった。
中日スポーツの記者として健筆を振るい、平成の初期にまで、
春夏の甲子園高校野球に必ず顔を出していた吉田正男氏。

そうそう、1931~1933年にわたって、甲子園高校野球大会史上唯一の
3連覇を成し遂げたときの中京商(中京大中京)のエースその方です。

その3年間、14勝(選抜大会との合計で史上最多の23勝3敗)を
挙げていらっしゃいます。

伝説的なのは、3連覇目の準決勝、明石中との延長25回336球の完封。
翌日の決勝はやっぱり10四球を与えたが、しかしながら平安中に
2安打1失点で完投しているのです。

その当時の写真は、浪華商戦で傷を負わされた左まぶたの絆創膏が
たいへん印象的。

中京商が初出場から3連覇すると、享栄商(享栄)や東邦商(東邦)も
負けてはならじと実力を伸ばし、出場では先行していた愛知商も加え、
愛知4商の時代がやって来る。

1930年の愛知商からはじまって1948年まで、代表の座はすべてこの
4校が占めていたとのことです。

そのうち愛工大名電もここへ割って入るけれど、そうだとしても甲子園高校野球の
実績では、中京大中京がずば抜けています。

夏の選手権大会優勝7回、通算78勝はどちらにしてもトップで、
春夏通算では唯一の100勝超え。

一番初めに戦後、愛知で夏を制覇したのは中京だけです。

ただし、2009年夏選手権大会の中京大中京の優勝を率いた大藤敏行監督が、
なんとまあライバルの享栄に移り、将来を考えたら監督に就任するらしい。

これから先どのようにして勢力図が書き換えられるのか、
愛知県勢から目を離すことができない。

第63回選手権大会。
名古屋電気のエース・工藤公康は初戦で、ノーヒットノーランを記録。
落差の大きいカーブで三振の山を築きます。

ヒーロー 工藤公康

その落差の大きいカーブは、「あのようなの、見た事がない」と
球審は判定につらい思いをしたとのことです。

1981年夏選手権大会工藤公康投手の左腕はそれほどまでに冴え渡る。

長崎西戦では、16奪三振で金属バット採用した後初のノーヒットノーランを
実現すると、北陽戦は延長12回を21奪三振で1失点完投。

続く、志度商(志度)も12奪三振で2安打完封。
準決勝は報徳学園に敗れるが、計29イニングで奪った三振56が
そっくりそのままカーブの凄み。

同学年のライバルには、槙原寛己(大府)がいて、それに加えて浜田一夫(愛知)を
愛知の三羽カラスと呼ばれます。

工藤公康氏の話によると、雑誌「セブンティーン」の取材で、3人で名古屋の街を
歩いたことがあったらしい。

プロ野球界で長く現役し続けたあと、「熱闘甲子園」のキャスターとして
甲子園高校野球に戻っていた時代、屈託のないクドちゃんのまんまだったという。

第23回選手権大会。中京商の投手・野口二郎。
決勝で熊本工の川上哲治との投手戦を制し、優勝を果たす。

第57回選手権大会。初戦の柳井商戦で、
力投する国府(こう)のエース・青山久人。
無名の公立校を甲子園高校野球に導く。

第72回選手権大会。愛工大名電の鈴木一郎は初戦、優勝した天理に敗れる。
後にイチローとして大打者に。

第80回選手権大会。豊田大田には4強入り。主砲の古木克明は大会屈指の
強打者であった。その後、総合格闘家にもチャレンジしてみる。

第85回選手権大会。愛工大名電の堂上剛裕は強打の三塁手として注目される。
リリーフもやり遂げています。

第91回選手権大会。中京大中京の堂村翔太は6回、2点適時打を放つ、
しかし、日本文理の猛反撃に遭い、悔し涙の優勝となった。

夢へあと1勝 豊川

本来は、豊川稲荷で周知される曹洞宗の名刹・豊川閣妙厳寺の夜間教育機関。

創部は1946年で、幾度となく8強、4強に進出していて、2000年代には、
2年続けて愛知県大会準優勝。

初出場近し、と思わせたが、2010年は2回のベスト4が最高。
敗れたのは、2003年の決勝が愛工大名電、2004年中京大中京、
1015年準優勝も愛工大名電。

2014年の春選抜大会に初出場して準優勝まで進んだチームも、
前年秋の愛知県大会決勝で東邦に敗れているのです。

常連校の壁をどういうわけか飛び越えられない。
惜しかったのが2011年夏選手権大会。

至学館との準決勝は、6点を追う6回に一挙5得点。
1点差に詰め寄るも、その裏に4点を奪われる。その後、再三のチャンスを
作ったが、反撃は2点止まり、結局7対10で敗れる。

相手の至学館が決勝に勝ち進み、甲子園高校野球初出場を決定しているだけあって
東西2代表の100回大会は大変な勝負どころなのです。

チーム・愛工大名電

学校法人・名古屋電気学園が運営する共学の私立校。

1912年に名古屋電気学校として創立。
戦後の学制改革で名古屋電気校、1960年に名古屋電気工業高校。

1976年に再び名古屋電気高校となった後、1983年から現在の
愛知工業大学名電高校という名称になっている。

普通科、情報科科学化に加え、2007年に科学技術科が新設された。

部活動が盛んで、相撲、陸上競技、バスケットボールが全国レベル。
1955年創部の野球部は、1968年春選抜大会に初出場。

1981年には、エース・工藤公康(元西武)の好投でベスト4まで進出し、
2004年は春選抜大会では、倉野光生監督の元準優勝。
2005年は初優勝を飾った。

このときの特徴は徹底したバント戦法で、5試合の犠打合計は26。
選手によっては、明らかにバントの局面では木製バットを使う
ケースもありました。

OBには、十亀剣(西武)、東克樹(横浜)。
学校所在地は、名古屋市千種区。甲子園高校野球通算20勝19敗。

チーム・愛知商業高校

1919年に創立した愛知県立商業学校が前身。

1948年の学制改革で現校名となるが、1948年10月には貿易商、名南、熱田と
統合して県立瑞陵高校が発足。

名古屋市東区にある校舎の玄関脇には、
「第13回全国選抜野球大会において 我が愛商軍は 関東の雄
桐生中学を 接線の末に破り 悲願の優勝を遂ぐ
1936年(昭和11年4月) 於 甲子園球場」という
優勝記念碑(とうこん)があります。

愛知4商の中でももっとも早く台頭しながら、中京商(現中京大中京)、
東邦商(現東邦)に先を越されていたが、ようやく全国制覇を遂げたのが、
1936年春選抜大会です。

1926年夏の選手権大会初出場からは、1931年までの6年間で8回甲子園高校野球に
出場し、1927年夏選手権大会にはベスト4。

1936年春選抜大会には、1935年夏選手権大会ベスト4メンバーがほとんど残り、
エース・水野良一(元中日)の完投で強豪を次々に破る。

桐生中(群馬)との決勝は、1対1と同点の9回裏、天馬貴史のサヨナラ打で
優勝を決める。戦後は1946年夏の復活大会。

さらに瑞陵の時代に3回甲子園高校野球に出場するが、
1957年の春選抜大会を最後に大舞台から遠ざかっている。
春夏通算17勝17敗。

愛知一中(旭丘高校)

1917年、第3回の全国中等学校優勝野球大会で優勝したのが愛知一中で、
現在の愛知県立旭丘高校。

この大会、長野師範(現信州大教育学部)に初戦で敗れた愛知一中ですが、
前年から採用された敗者復活制度により抽選で復活に進むと、
和歌山中(現桐蔭/和歌山)、明星商(現明星/大阪)を降ろして
準決勝に進出。関西学院中(兵庫)との決勝は初戦、
1点ビハインドの6回裏に降雨ノーゲームとなり、再試合を延長14回で
ものにして優勝。

この敗者復活制度は、この大会限りで廃止する。
愛知一中は、全国大会で一度破れながら優勝しているチームです。

もともと1970年に創立した尾張藩の藩校をルーツに持ち、
野球部の創立は愛知県内でもっとも古い、1993年とされる。

愛知一中時代、戦前は春夏合計10回全国大会に出場し、10勝11敗。

しかし、愛知県内屈指の進学校でもあり、1948年の学制改革で、
旭丘高校となってからは、もちろん昭和初期の1929年以降、
甲子園高校野球から遠ざかっている。

所在地は、名古屋市東区。

チーム・中京商→中京大中京高校

春夏通算の甲子園高校野球勝利数は、唯一の3桁、133勝で最多を誇る。

夏選手権大会78勝21敗、春選抜大会55勝26敗。
夏選手権大会7回、春選抜大会4回、合計11の優勝回数も全国最多。

現在は、学校法人梅村学園が運営する中京大学の附属校で、
正式名称は、中京大学附属中京高等学校。
名古屋市昭和区にある。

1923(大正12)年に中京商業として創立。
初優勝は1931年。夏第17回選手権大会。そこからエース・吉田正男で
唯一の夏3連覇という偉業を果たした。

1933年の第19回選手権大会準優勝、明石中(兵庫)との延長25回は
最長記録として永遠に残る。

1966年にエース・加藤英夫(元近鉄)で史上2校目の春夏連覇を達成。
1967年、普通科を設置し、中京高校に改名。

中京商時代の襟の付いたユニフォームは高校野球界には珍しく、
代名詞的なものだった。

1995年、正式名称を中京大中京と改称し商業科を廃止。

2009年夏選手権大会決勝で日本文理(新潟)を破り、春夏連覇以来
43年ぶりに全国優勝を果たす。

主なOBは、野口二郎(元阪急)、木俣達彦(元中日)、稲葉篤紀(元日本ハム)、
嶋基宏(楽天)。
サッカー、陸上競技も強豪で、フィギュアスケートの浅田真央、安藤美姫、
宇野昌磨も卒業生。

チーム・東邦高校

名古屋市名東区にある市立共学校。
1923(大正13)年に東邦商業として創立された。

戦後すぐに東邦高校と校名を変更。普通科と美術科がある。

春選抜大会にめっぽう強く、「春の東邦」と言われ、その歴史は1934年の
第11回選抜大会にはじまる、初出場からそのまま一気に優勝すると、
第18回選抜大会まで連続出場して、すべてベスト8以上。

第16回、第18回選抜大会に全国制覇。
戦後の優勝は1989年、1988年は2年生エースで決勝で敗れていた
左腕・山田喜久夫(元広島)が3年生になりさらに成長。

上宮(大阪)との決勝戦は0対1で劣勢も、10回裏に相手のエラーで
逆転サヨナラ勝ち。

選抜大会の勝ち星は全国2位の51勝25敗を挙げる。
夏選手権大会は、1977年に1年生の坂本佳がエース。

「バンビ坂本」ブームを起こすと決勝へ進むが、東洋大姫路(兵庫)に
9回裏、サヨナラ3ランを浴びて悲願達成ならず。

決勝まで勝ち上がったのも17回出場して、このときだけ止まる。
19勝17敗。

山倉和博(元巨人)、山田勝彦(元日本ハム)、藤嶋健人(中日)らの
OBがいる。

愛知4商

愛知県において、かつてのしのぎを削った4つの旧商業学校を指す。

1931年の夏に初出場した中京商(現中京大中京)が、そこから3連敗の
偉業を達成し、以後は享栄商(現享栄)や東邦商(東邦)も力を伸ばした。

ここに、甲子園高校野球出場では先んじていた、愛知商も加えたのが
愛知4商である。

この愛知4商は、夏は1930年の愛知商からはじまって1950年まで、
13回の代表を独占する。

春選抜大会は、1928年~1948年まで少なくとも毎年1校が出場するどころか、
3校出場が4回、1937年はなんと4校がすべて出場している。

それだけ、全国レベルでも実力は折り紙つきで、1938年の春選抜大会は、
中京商と東邦が決勝で激突する。

中京商1対0東邦商。優勝回数は、中京大中京が春選抜大会優勝4回、
準優勝4回、夏選手権大会優勝7回を数えるのをはじめ、
東邦春選抜大会優勝4回、準優勝2回、夏選手権大会準優勝1回、
愛知商春選抜大会優勝1回。

やがて1980年代から、愛知商に代わって愛工大名電が割って入ると、
他の3商が校名を変更していることもあり、私学4強と言われるように。

近年は享栄にやや元気がないが、1917年夏の選手権大会終了後、
2009年夏選手権大会に中京大中京を優勝に導いた、
大藤敏行監督就任が確実視されている。

愛知県

境川を隔て、異質な環境、伝統を持つ二地域に分かれる。
西部は寒暖の差の激しい濃尾平野を中心にした尾張地方、
信長、秀吉を生んだ。

東部は温暖な気候の岡崎、豊橋平野を有する三河地方で、家康の出身地。
名古屋市は江戸時代は筆頭新藩、現在は中京工業地帯の中心、
中部の政治・経済・文化の中核として発展を続けている。

1871年7月の廃藩置県で、名古屋藩は美農を含め名古屋県となるが、
11月に美農を分割、1872年4月愛知県と改称する。

三河は1872年12月に額田県となったが、1873年愛知県に合併する。

愛知県章は、太平洋に面した県とちなみ、波頭と朝日を表す。

愛知県名の由来は、アユノカゼ=海風の地(柳田國男)、鮎淵、
湧水(あゆ)の地など諸説。

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