東北秋田県勢が決勝の土を踏むは、第1回選手権大会の一度っきり

●東北秋田県勢戦績上位校夏甲子園選手権大会
・準優勝
秋田中 第1回選手権大会
・ベスト4
秋田中 第20回選手権大会
秋田 第47回選手権大会
金足農 第66回選手権大会
秋田経法大府 第71回選手権大会
・秋田県勢甲子園選手権大会出場回数上位校
秋田19回、秋田商18回、明桜9回
・秋田県勢甲子園選手権大会初出場校
秋田中 斉第1回選手権大会
・秋田県勢甲子園選手権大会初勝利校
秋田中 第1回選手権大会

第93回選手権大会。秋田県勢としては14年振りに初戦突破した
能代商の保坂祐樹投手。延長戦12回の熱戦になった
如水館戦でも好投しています。

東北秋田県野球を記憶をたどるうえで、避けられない「暗黒時代」が存在します。

第80回~第92回(1998~2010年)の選手権大会13年連続初戦敗戦です。

第84回選手権大会では、秋田商が尽誠学園から12安打を浴びせられて、
1対17の大敗。

本荘が鳴門工に屈した第90回選手権大会と、明桜がけん制悪送球で
巻く切れを迎えた第91回選手権大会は、2年連続サヨナラ負けです。

暗くて長過ぎるトンネルを抜け出すことを可能にしたのは、能代商でした。

第92回選手権大会0対15で鹿児島実に完敗するわけですが、
そのイニングスコアを室内練習場に貼って、
悔しさを噛みしめつつ、明けても暮れても猛練習。

そのうえで、2年連続で夏の甲子園高校野球へ。

スポンサーリンク

抽選会でヒットさせた初戦の相手とは、神村学園(鹿児島県)。

運命的な鹿児島県勢との再戦は、5回を終えて1対3と2点差を追う展開に。

「1年間悔しい思いをしてきたというのに、何をやっているのだ!」と
工藤明監督の激に、能代商の野球部員達は、奮起するのです。

まさにその時6回に一挙4点をもぎ取り、逆転勝ちし、次戦で英明を打ち破り
16強入り。

2013年に女子校と統合し、校名は「能代松陽」にチェンジしました。

「NOSHO」のユニホームは同じまま、再び甲子園球場聖地を目指します。

第66回選手権大会は、初出場の金足農が、準決勝でKKコンビ擁する
PL学園に2対3と、もう一歩まで追い詰めます。

秋田経法大府(明桜)の、1年生・中川甲也(阪神)の力投で、
第71回選手権大会で、4強入り。

近年でもっとも注目を集めたのが、秋田商・成田翔(ロッテ)です。

第97回選手権大会に出場した本格派左腕は、龍谷との初戦、
切れがある直球とスライダーで先頭打者から4者連続三振。

1失点完投を成し遂ると、次戦も延長戦10回投げ抜いて、
秋田商80年ぶりの8強へ。

次の秋田県勢の躍進は、いずれの学校が見せてくれるのだろうか。

第1回選手権大会に出場した秋田中・ユニホームの胸のロゴ
「YADOME」郷里の久保田城の別名「矢留城」にちなんだもの。

第97回選手権大会。いくつもの変化球を配して龍谷戦で4連続が含まれた
16個の三振を奪う秋田商の小さなエース・成田翔。

第79回選手権大会。和田毅を擁する浜田戦で力投する
秋田商は石川雅規投手。
サヨナラ押し出しの劇的勝利に貢献しました。

ヒーロー 石川雅規

過去99回選手権大会で、秋田県勢最多の10勝を挙げている秋田商。

その半分の5勝は、身長が170センチを下回る、「小さな大投手」たちが
積み重ねてきたもの。

第97回選手権大会の成田翔、第42回、第43回選手権大会で1勝ずつ挙げた
右下手投げの故・今川敬三。

第79回選手権大会に出場して、2002年セ・リーグ新人王に輝く、
石川雅規(ヤクルト)投手。

少年時代、キャッチボール相手であった父親は、胸に来る球しか
捕らなかったと言われています。

自分の家の窓ガラスは何枚も何枚も割ったと意識することが、
自分らしさの制球力が磨かれた理由でした。

甲子園高校野球では、初戦で浜田・和田毅(ソフトバンク)と対峙します。

9回裏、同点に追いつかれた浜田は満塁策を取ります。

打者・石川雅規に待っていた結末とは、サヨナラの押し出しです。

和田毅投手の茫然自失状態になった表情が脳裏に焼きつき、
「すんなりと喜べなかった」。勝った実感がなかったと言っています。

夢へのあと1勝 秋田中

1915年「全国中等学校優勝野球大会」の名で開始された夏の選手権大会。

10校が出場した第1回選手権大会で、秋田中は準優勝。

決勝戦は秋田中・長崎広、京都二中(鳥羽)、藤田元の両エースの
投げ合いで、6回まではゼロ行進が連続しています。

1対1で延長戦が見られるも、13回裏、京都二中が1死二塁から内野への
打球で秋田の守備がもたもたする間に二塁走者はホームインし、
サヨナラ負け。

その当時は、まだ野球そのものへの批判が根強く、保護者や支援者の
その中には「大阪・豊中まで野球会をやりに行くことは必要ない」と
異議を唱える声もありました。

選手の何人かは出場をあきらめ、よその運動部員を勧誘し、
即席チームで選手権大会に挑戦して獲得した準優勝でした。

秋田県勢が決勝の土を踏むのは、第1回選手権大会のこの一度きりです。

第100回記念選手権大会に優勝したなら、100回目で待ちに待った
初優勝になります。

秋田県勢ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・秋田中 第1回選手権大会準優勝 長崎広
・秋田中 第20回選手権大会ベスト4
・秋田商 第21回選手権大会 赤根谷飛雄太郎
・秋田商 第40回選手権大会 石戸四六
・秋田 第47回選手権大会ベスト4 鐙文行
・秋田市立 第50回選手権大会 中島義博
・秋田商 第58回選手権大会 武藤一邦
・能代 第59回、第60回選手権大会 高松直志
・秋田商 第62回選手権大会 高山郁夫
・秋田経大府 第63回選手権大会 松本豊
・金足農 第66回選手権大会ベスト4 水沢博文、長谷川寿
・秋田経法大府 第71回選手権大会ベスト4 中川甲也、松岡勇樹
・金足農 第77回選手権大会 嶋崎貴芳
・秋田商 第79回選手権大会 石川雅規
・能代商 第93回選手権大会 保坂祐樹
・秋田商 第97回選手権大会 成田翔

秋田県

総面積の7割が森林で、なかでも米代川流域に分布する秋田杉の天然林は、
木曽ヒノキ、青森ヒバと並び、日本三大森林の一つ。

八郎潟を干拓してできた日本最大、170km2の面積を持つ干拓地大潟村、
横手盆地、能代平野に水田地帯が広がる。

十和田八幡平国立公園、栗駒国定公園、鳥海国定公園と景勝地も豊富。

1871(明治4)年の廃藩置県で、秋田、亀田、本荘、矢島、岩崎各県が成立。

11月から各県と、山形県に属していた由利郡南部、江刺県に属していた
鹿角郡と合わせ、現在の秋田県の形ができる。

秋田県章は、秋田の「ア」の文字をデザインする。

秋田県名の由来は、アイヌ語で葦、篠笹の生えた所。

低湿地を表すアクタから来たという説も。

スポンサーリンク

タイトルとURLをコピーしました