甲子園高校野球千葉県勢の黄金期 県勢の安定した強さ

●千葉県勢甲子園高校野球戦績上位校
・優勝
習志野 第49回、第57回選手権大会
銚子商 第56回選手権大会
・準優勝
銚子商 第47回選手権大会
拓大紅陵 第74回選手権大会
東海大浦安 第82回選手権大会
・千葉県勢甲子園高校野球出場回数上位校
銚子12回、習志野8回、成田7回、千葉商7回
・千葉県勢甲子園高校野球初出場校
千葉師範 第12回選手権大会
・千葉県勢甲子園高校野球初勝利校
千葉中 第21回選手権大会

第47回選手権大会。
銚子商を準優勝に導いたのは、エース木樽正明。
プロ入り後は、パ・リーグロッテで活躍します。

第56回選手権大会。
銚子商のエース・土屋正勝は、5試合で失点1。
決勝でも3安打完封で、栄冠に輝く。

千葉県勢の黄金期は、昭和40~50年。

銚子商の監督・斉藤一之が鍛え上げたチームは、
1965年の夏甲子園高校野球第47回選手権大会で準優勝。

第49回選手権大会には、創立11目の習志野が、石井好博をエースに
全国制覇を成し遂げます。

その後は、銚子、習志野の両校は、だいたい交替で甲子園高校野球に出場します。

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江川卓の在籍する作新学院を第55回選手権大会に打ち破った
銚子商は、翌年の第56回選手権大会に、土屋正勝がエースで初優勝。

その翌年は、習志野が小川淳司投手で優勝し、千葉県勢が連覇いたします。

監督は石井好博。

優勝投手が母校を率いて全国制覇を行なってしまうことは、
甲子園高校野球選手権大会史上初めてだったのです。

それ以前は千葉としては、1947、1952年に成田の2回のベスト4がありますけど、
甲子園高校野球ではあと一歩手が届かない印象でした。

まさにそれが斉藤一之氏が監督に就任し、流れが突然のよう変化しています。

中学教師から転じて、情熱を野球大好きな港町のチームに注ぎ込んだといえます。

その一方、習志野は初代市長・白鳥義三郎氏と初代校長・山口久大氏が
文武の”武”にも重点を置きます。

切磋琢磨について、石井好博氏は言います。
「私らの(第49回選手権大会の)優勝は、銚子商が
 千葉県大会の途中で負けていたため、銚子商を超えたとは
 思わなかった。しかしながら、斉藤一之氏はずいぶん悔しかったでしょう、
 以前にも増して力を付けていった。
 銚子商を倒さない限りは甲子園高校野球はないだろう、
 という図式は常に変わらない状態でした。」

1989年、斉藤一之氏が世を去ったとき、石井好博氏は練習着のまま
車を飛ばし、斉藤一之氏の自宅へと駆けつけます。

遠からずこの2強を目標に台頭するということが、
拓大紅陵、石井好博の教え子・小林徹の率いた市舟橋。

最後の決勝進出は、2000年の東海大浦安。

「野球王国」千葉県の復権が望まれる!

第56回選手権大会。
銚子商の三塁手・篠塚利夫(のちの和典)。
決勝の防府商戦2回裏、松崎の打球をライン際で抑える守備も見せます。

ヒーロー 篠塚利夫

金属バット解禁の第56回選手権大会。

そうだとしても、この男篠塚利夫選手は、木製バットにこだわりを持ちます。

「プロのスカウトも見るために訪れているだろうから。
 それと金属バットを使ってみたけれども、性に合うことがなかった。」と、
語るのがその後の述懐です。

木も金属も影響されず、19打数8安打5打点、PL学園戦と平安戦では
ホームランも放っているのです。

栄光に輝いた銚子商の2年生4番・篠塚利夫選手です。

1年春から二塁の定位置を自分のものにしますが、
夏の選手権大会直前に骨折したので、甲子園高校野球には出場していないです。

その当時、作新学園のエース・江川卓との対戦を目にすることはありません。

1974年の春選抜大会には、4番ショートで出場し、12打数4安打。

3年の夏選手権大会はライバルの習志野に準決勝で敗れ、
高校野球生活を終えます。

目に浮かぶ市民の熱狂さ、
「公式戦では大漁旗がスタンドに舞い、練習だとしても大勢見学に
 集まっていただけました。街全体で盛り上げて、強くなったんです。」と、
懐かしそうに、篠塚和典氏はお話します。

第21回選手権大会の名選手・千葉中の飯島滋弥。
プロ入りし、首位打者にも達する。

第57回選手権大会で習志野の2度目の優勝の刺激剤になった
エースの小川淳司。
2018年、2度目のヤクルトの監督に就任します。

第74回選手権大会の拓大紅陵 vs 佐世保実。
2回表にタイムリーを放った丹野雅士が、
右翼手が後逸している間に自分自身も生還。

夢へあと1勝 安房

1901(明治34)年創部と、千葉県内きっての歴史を持ちますが、
交通の便が悪いため、身近な所に対戦相手がいませんので、また野球に
夢中になり過ぎるのを危惧し、戦前はもっぱら校内試合だけにしていました。

どうにか選手権大会に出場始めるのは、戦後の1946年で初戦で不戦敗。

1950年の南関東大会では、決勝に歩を進めますが、千葉一に、
1976年は、黄金期の銚子商に決勝で勝つことができません。

安房に吉報が舞い込んだのは、2008年の春選抜大会です。

2007年は31年ぶりの夏ベスト4と秋に準優勝し、この大会から
3枠になった21世紀枠の選出で、初の甲子園高校野球出場。

伝統と実績、そうして少子高齢化の進む館山市で、地元中学出身地のみの
見事な活躍ぶりが評価され、南房総から初の甲子園高校野球です。

選抜大会本番でも、城北に2対0と初戦乗り越えます。

直後の4月に安房南と統合した新・安房は11年の第93回選手権大会に
8強に進出。

今も、まだ見ぬ夏を追い求めています。

第58回選手権大会3回戦、銚子商は1-6-3のダブルプレーで東海大一の
攻撃を抑える、遊撃手は宇野勝選手。中日ドラゴンズで人気者に。

第86回選手権大会。千葉経大付は3回戦で東北と対戦。
松本啓二朗らとの継投で6安打に抑え3対1でダルビッシュ有投手に投げ勝つ。

千葉県勢ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・千葉中 第21回選手権大会 飯島滋弥
・千葉中 第22回選手権大会
・千葉商 第26回選手権大会
・成田中 第28回選手権大会 石原照夫
・成田中 第29回選手権大会ベスト4
・成田 第34回選手権大会ベスト4
・銚子商 第45回選手権大会
・銚子商 第47回選手権大会準優勝 木樽正明
・習志野 第49回選手権大会優勝 石井好博
・銚子商 第53回選手権大会
・習志野 第54回選手権大会 掛布雅之
・銚子商 第55回選手権大会
・銚子商 第56回選手権大会優勝 工藤正勝、篠塚利夫
・習志野 第57回選手権大会優勝 小川淳司
・銚子商 第58回選手権大会 宇野勝
・我孫子 第60回選手権大会 和田豊
・習志野 第69回選手権大会
・拓大紅陵 第88回選手権大会 丸佳浩

千葉県

房総半島の北端は、利根川と江戸川が県境、四方が水で囲まれていることから、
砂浜の続く九十九里浜、花いっぱいの南房総、大型タンカーの行き交う
京葉工業地域、未解決問題の残る成田空港、そして東京ディズニーランド、
幕張メッセと、さまざまな顔を持つ。

総武線、常磐線沿線の京葉、東葛地域に住み人々は千葉都民の異称で呼ばれ、
県への既存意識が希薄化になっていると言われる。

廃藩置県で、新治、印旛、木更津3県が設置され、1873(明治6)年、
印旛、木更津両県が合併、千葉県が誕生。

1875年、新治県の一部を合わせて現在の形に。

千葉県章は、千葉の「チ」と「ハ」を図案化。

千葉県名の由来は、洪積台地の端(つぼ)、茅(ちかや)の多いところから
茅場など諸説がある。

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