第53回選手権大会夏甲子園 小さな大投手・磐城(福島)エース田村隆寿

●東北福島県勢甲子園高校野球戦績上位校
・準優勝
盤城 第53回選手権大会
・東北福島県勢甲子園高校野球選手権大会出場回数上位校
聖光学院14回、学法石川9回、福島商8回、日大東北7回、盤城7回
・東北福島県勢甲子園高校野球選手権初出場校
福島師範 第20回選手権大会
・東北福島県勢甲子園高校野球初勝利
盤城 第45回選手権大会

第53回選手権大会。
3試合連続無失点と、好投を披露した身長165センチの
「小さな大投手」、磐城の田村隆寿。
福島県勢初の決勝進出を果たし、大会を盛り立てる。

第93回選手権大会の聖光学院・歳内宏明投手は、
1回戦の日南学園戦で、10回を投げ抜き16奪三振。

福島で生まれて初めて野球が行われたのは、明治の中頃、
海野善堯師によって指導されています。

京都で仏道修行、故郷に帰って来て住職となりますが、
京都時代に野球を忘れることができないのです。

お経をあげること以上に境内で子供たちと野球に時間をつぎ込んだというから、
ひと味もふた味も違った人物です。

ほどなく、第20回選手権大会、福島師範が甲子園球場にデビュー。

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しかし、甲子園球場での初勝利は、第45回選手権大会に出場する
磐城によってであるから、福島県勢の初出場から、30年要されます。

弱小県であった福島県に驚くほどの喚起を呼び戻させたのが、
第53回選手権大会、磐城を通じて、エース・田村隆寿はその当時であっても
小柄で165センチでしかない身長です。

「小さな大投手」として、全国各地を沸かせます。

卒業した後は、日大を終えて、高校野球の指導者となって、
「会津の学校を甲子園球場に」と、夢に描きますが、挫折したのは、
あの甲子園球場のマウンドでの活躍を知るものには、
やり切れない気持ちにさせられたものです。

ここ数年、聖光学院が福島県内の追随を許さない。
過去14年間で13回の出場を果たす。

連続出場記録は、和歌山中の14回連続、それに肉薄する記録を更新中です。

監督の斎藤智也氏は、田村隆寿投手から、直接「高校野球」を教え込まれています。

今や、聖光学院オンリーの感が見られる、福島県勢だが、東大日本大震災による
原発事故の影響で、甲子園球場出場3回の双葉が依然として休校中なのです。

非常にやるせなく、腹立たしい!

愛着のある母校の甲子園球場出場という夢の不在。

聖光学園の活躍に溜飲を下げても、出場回数9回の学法石川、
8回の福島商のガンバリも、再び甲子園球場で見たいものである。

第50回選手権大会に初出場の学法石川は初戦で、古豪・中京(中京大中京)と対戦し、
エース・鈴木伸弘は12三振を奪うも0対1と惜敗。

第63回選手権大会の1回戦。
松山商と対戦した郡山北工の橋本功が決勝の投前スクイズバントを
決め、初出場の初陣を飾ります。

第63回選手権大会に出場した福島商のエース・古溝克之。
2回戦で同じプロ野球注目の秋田経大付(明桜)のエース・松本豊を投げ合う。

ヒーロー 古溝克之

第63回選手権大会、工藤公康(名古屋電気)がノーヒットノーラン。

荒木大輔(早稲田実)に注目が集まり、金森義明(報徳学園)が優勝した年です。

「超高校級」「大会屈指の」「東北一の左腕」というふうな新聞紙や雑誌の
見出しが載るようになったら、少年たちはドキドキハラハラする。

ドキドキは、大人になれば期待がもたらされる。
強豪を打ち負かして、優勝できるのではないのか。

10年前には「小さな大投手」田村隆寿が磐城に準優勝を呼び込んでいます。

その再来以上の結果が手に入れたかった。
古溝克之選手は、後にドイツサッカーの守護神となるオリバー・カーンにも
似ている、迫力に満ち溢れたその面魂は、期待させるのにとっても魅力的でした。

福島県勢からしたら、甲子園球場で初めてのヒーローに値する投手です。

2回戦で残念なことですが、勝てませんが、2試合投げて防御率は1.42です。

14年ぶり3回目の出場を果たす第76回選手権大会。
双葉のエース・田中貴章は初戦の市和歌山商を1対0と完封します。

夢へあと1勝 会津地方の高校

浜通りの磐城は甲子園高校野球準優勝、中通りの聖光学院は8強4回。

それなのに、会津からの夏甲子園選手権大会の出場は皆無。

福島師範と一緒に、第2回選手権大会から参加しており、
夏の選手権大会は4強4回の会津を筆頭に、同じ様に4強4回の会津工、
第67回で福島大会の決勝進出の経験がある若松商、
第41回東北大会の決勝で、東北(宮城)に敗れた喜多方と、
4校ひとつ残らずが戦前から参戦して、
「いい線まで行っている」のに、夏の甲子園選手権大会にまで届きません。

しかしながら、福島県勢の春選抜大会の出場校は、1959年の会津。

甲子園高校野球では、県尼崎に気の毒な0対3で負けます。

だけれど、「忘れ物を取りに行く」はずであった夏は、
福島大会初戦の2回戦で、福島商に1対7の完敗。

ただ同じ会津の喜多方が県予選を乗り越えます。

東北大会で敗れていますから、会津の当たり年だったことになりますが、
いずれにしても、会津地方の高校「あと1勝」がとてもとても遠い。

福島県勢ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・磐城 第45回選手権大会 青木稔
・保原 第47回選手権大会 岡正光
・磐城 第53回選手権大会準優勝 田村隆寿、矢崎史雄
・磐城 第57回選手権大会 小磯克美
・福島商 第59回選手権大会 三浦広之
・福島商 第63回選手権大会 古溝克之
・学法石川 第73回選手権大会 川越英隆
・双葉 第76回選手権大会 田中貴章
・聖光学院 第90回選手権大会 佐藤竜哉
・聖光学院 第92回選手権大会 歳内宏明
・聖光学院 第94回選手権大会 園部聡
・聖光学院 第96回選手権大会
・聖光学院 第98回選手権大会 鈴木駿輔

福島県

阿武隈高地・奥羽山脈・越後山脈によって太平洋側から、
浜通り、中通り、会津地方に分けられる。

気候が温暖な浜通りには、原子力発電所があり、臨海工業地域として
発展しています。

県の中央にあって浜通りと会津地方を結ぶ交通の要所が中通りで、
郡山市、須賀川市をはじめ、商工業が盛ん。

猪苗代湖の北西に広がる会津地方は、会津藩二十三万石として
栄えた歴史と伝統のある地域。

廃藩置県後、平、二本松、若松の3県が誕生。
平は磐城、二本松が福島に改称され、1976(明治9)年合併、
一部を宮城に分離、1886年東蒲藩原郡を新潟県に分離して今に至る。

県章は福島の「ふ」を図案化したもの。

福島県名の由来は、泥海から信天山が噴き出し、噴く島=福島に
なったという伝説が伝わる。

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