甲子園選手権大会深紅の大優勝旗はファイナルの翌日津軽海峡を渡る

●北海道甲子園球場夏選手権大会
・優勝
駒大苫小牧 第86回選手権大会、第87回選手権大会
・準優勝
駒大苫小牧 第88回選手権大会
・ベスト4
北海中 第14回選手権大会
・甲子園出場回数
北海38回、北海学園札幌(札幌商)8回、旭川大7回、駒大苫小牧7回、函館大有斗7回
・北海道勢初出場校
北海中 第6回選手権大会
・北海道勢初勝利
北海中 第8回選手権大会

第87回選手権大会の決勝9回表、
京都外大西から3者連続空振り三振を奪い、
2連覇を決める駒大苫小牧・田中将大の闘志溢れる投球に、
甲子園球場の観客は大いに沸いた。

2004年の夏を忘れない。

佐世保実、日大三、横浜、東海大甲府といった、
甲子園高校野球の常連、強豪を次々と破り、
決勝では春夏連覇を目指す愛媛の済美を13対10で下す。

チーム通算打率は.448、大会記録。

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決勝の翌日、深紅の大優勝旗は津軽海峡を渡りました。

勝ち過ぎると、人は不安になってしまうのかもしれない。

新千歳空港で大歓声の出迎えを受けたとき、
香田誉士史(よしふみ)監督の顔は確かにこわばってました。

北海道庁前での優秀報告会には約7,000人が集まり、
“駒苫フィーバー”はヒートアップしていくのです。

10月に札幌市のデパートで開かれた
「深紅の大優勝旗展」には、1週間で約57,000人が集まります。

会場では「熱闘甲子園」の決勝戦のダイジェスト映像が流れます。

主将の佐々木孝介がショートフライをキャッチした優勝の瞬間、
映像を見つけていた初老のサラリーマンがカバンを落とし、
顔を覆って嗚咽します。

過去の北海道勢の
甲子園高校野球での戦いぶりを想い出したのではないだろうか。

前評判は、超高校級ながら、
晴れ舞台に出ると力を出せない選手がいかに多かったか。

堅守のチームがエラーを重ね、大差が付いた時点で、
実況のアナウンサーが「雪国のハンディ」を語り始める。

そんな悲しい定番を駒大苫小牧は打ち破ってくれました。

1995年春、香田誉士史監督が最初に駒大苫小牧の
グラウンドに立ったとき、
集まった選手は長髪、ジャージー姿。

「北海道だからヒグマのようにたくましい子供たちが
いるかと思ったら、鶏ガラのようにひ弱だった」と、
佐賀出身の香田誉士史監督は語っています。

チームの快進撃はその後も続くことに。

2005年に連覇を果たした駒大苫小牧の
二塁手・林裕也選手は夏甲子園第86回選手権大会は、
準々決勝の横浜(神奈川)戦で
大会史上5人目のサイクル安打を達成する。

「北海道高校野球の父」と呼ばれる飛沢栄三氏は、
冬の走り込みによる機動力とデータ野球で、
母校・北海を強豪校へと育て上げます。

第98回選手権大会。前5試合に登板し、
527球を投げた、北海・大西健斗。

主将を務め、22年ぶりの初戦突破から初の決戦へ、
伝統校を導いた。

ヒーロー 田中将大

第88回選手権大会。決勝で力投した駒大苫小牧・田中将大。

両エースの意地のぶつかり合いとなった引き分け再試合は、
永遠に語り継がれる名勝負。

連覇した2005年、準優勝だった2006年。

駒大苫小牧のマウンドで吠え続けたのが田中将大投手。

全国のチームが「打倒田中将大」に燃える中、
田中将大投手は打たれつつも負けなかった。

2005年は、鳴門工(徳島)、大阪桐蔭に苦しまれ、
2006年は青森山田、東洋大姫路(兵庫)、
智弁和歌山(和歌山)に苦戦し、決勝で待っていたのは、
早稲田実の斎藤祐樹投手。

「ハンカチ王子」は強気のピッチングで
駒大苫小牧打線を翻弄する。

決勝は再試合。結局、3対4で敗れるが、
最後のバッターが田中将大投手。

斎藤祐樹投手のストレートに渾身の空振り三振。

ゲームセットの瞬間の男らしい笑顔が印象的だった。

勝った斎藤祐樹投手の目には涙が流れる。

勝ち過ぎたチームから笑顔が消えた時期があります。

卒業生部員の不祥事で選抜大会を出場辞退し、
一時期香田誉士史監督がチームから離れたこともあります。

エース・田中将大は全国のライバルの他、
チーム内外の雑音とも闘い続けていたのです。

駒大苫小牧の選手たちが北海道に向う機内では
「ただいま、津軽海峡の上空を通過しています」と
アナウンスが流れたそうです。

夢へあと1勝 旭川東

これほど決勝で泣いたチームは全国でもないでしょう。

1926年第12回選手権大会で、
旭川商に4対9で破れたのが最初で、
1969年第51回選手権大会では、芦別工に1対2で惜敗する。

旭川中で5回、旭川高で1回、旭川東で4回、
実に合計10回も決勝で敗れている。

そのうち北海中に5回も負けているのはなんとも悔しい。

特に惜しかったのは、
1933年第19回選手権大会と翌年1994年の第20回選手権大会。

エースはビクトル・スタルヒン。

第19回選手権大会では、
北海道中を4安打に抑えたがチームは9失策。

翌年の札幌商との決勝では、
2安打に抑えるが5失策。

いずれも惜敗に終わり、その後、
スタルヒンは中退でプロ野球に進み、
巨人のエースとして活躍する。

1939年には年間42勝、
1955年にはプロ野球史上初の300勝と栄光に包まれる。

旭川スタルヒン球場では、
旭川中OBらが全国に呼びかけて作った銅像が、
その勇姿を伝えています。

第56回選手権大会、旭川竜谷の横手投げ、
向峰斉投手は、頭脳的な配球と制球力が持ち味。

小柄ながら、2年連続初戦突破をもたらす。

第69回選手権大会、
沖縄水産戦で好投する函館有斗(函館大有斗)・盛田幸妃。

脳腫瘍と闘いながら、
プロ野球界で通算47勝29セーブを挙げます。

第76回選手権大会。
2回戦、史上初の北海道勢対決となった、砂川北 vs 北海。

2回裏、北海2死二塁、三橋一史の中前打で
二走・佐藤貴明が本塁を突くがタッチアウト。

北海道勢ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・北海中第8回選手権大会 飛沢栄三
・函館商第9回選手権大会
・北海中第14回選手権大会 ベスト4
・札幌商第17回選手権大会
・北海中第22回、第23回選手権大会 大橋祐次
・函館中第28回選手権大会 沼沢康一郎
・函館工第30回選手権大会
・北海第32回選手権大会
・函館西第34回選手権大会 橋本力
・北海第36回選手権大会 工藤正明
・北海第42回、44回選手権大会 谷木恭平、中村之保
・北海第47回選手権大会 若松勉
・北日本学院第50回選手権大会 有沢賢持
・旭川竜谷第55回、56回選手権大会 向峰斉
・函館有斗だ第67回、69回選手権大会 盛田幸妃
・北海第76回選手権大会
・旭川実第77回選手権大会 岡田隆紀
・駒大苫小牧第86回選手権大会優勝 鈴木康仁、糸屋義典
・駒大苫小牧第87回選手権大会優勝 田中将大、林裕也
・駒大苫小牧第88回選手権大会準優勝 本間篤史
・東海大四第96回選手権大会 西嶋亮太
・北海第98回選手権大会準優勝 大西健斗

北海道

日本の最北に位置し、本島と周辺の諸島からなる。
広さは日本全体の約5分の1。

明治政府は、松前藩支配地域以外の蝦夷地を観察していた
函館奉行所に代え、函館裁判所(のちに函館府)を設置し、
開拓事業に着手したが、函館戦争で一時中断する。

1869(明治2)年、太政宮直属の開拓使を設け、本格的な
開発に取り掛かる。

松前藩は弘前県(青森県)に統合、1872年開拓使に移管される。

1882年、開拓使は廃止され、札幌、函館、根室の3県と開拓担当の
北海道事業管理局との3県1局体制を経て、1886年北海道庁設置。

1947年の地方自治法施行により、現在の北海道が誕生する。

北海道章は、開拓時代の旗章を七光星に図案化。

北海道名の由来は、1869(明治2)年、松浦武四郎の建議で、
東海道、南海道などにならい北海道と命名。

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