神奈川県を制する者は全国を制す 横浜・松坂大輔春夏連覇を達成

●神奈川県勢甲子園高校野球戦績上位校
・優勝
東海大相模 第52回、第97回選手権大会
横浜 第62回、第80回選手権大会
湘南 第31回選手権大会
法政二 第42回選手権大会
桐蔭学園 第53回選手権大会
・神奈川県勢甲子園高校野球出場回数上位校
慶應17回、横浜17回、東海大相模 10回、法政二9回、横浜商7回、桐蔭学園6回
・神奈川県勢甲子園高校野球初出場校
横浜商 第9回選手権大会
・神奈川県勢甲子園高校野球初勝利校
横浜商 第19回選手権大会
慶應は、東京代表時を含みます。

第53回選手権大会。失点は準決勝のみ。
4試合を完封して創部6年目のチームを初出場初優勝に導いた
桐蔭学園・大塚喜代美投手。

第60回、第62回選手権大会に出場した横浜の愛甲猛投手。
1年夏は、徳島商戦で初白星。
優勝宣言して挑んだ3年夏は投打の主力となり、
決勝で1年生・荒木大輔擁する早稲田実に勝利してチーム初優勝。

第65回選手権大会。1年生KKコンビのPL学園に敗れるも、
多彩な変化球でチームを春選抜大会に続き、決勝まで導いた
横浜商・三浦将明。

第73回選手権大会。
3番右翼手で出場した桐蔭学園の1年生・高橋由伸選手は、
柳ヶ浦戦で二塁から本塁へ突入し、巧みにタッチを交わし生還。

1年生から第56回、57回、58回選手権大会と3年連続出場して
8試合37打数15安打8打点を記録した、東海大相模・原辰徳。
父である監督・原貢とともに父子鷹として注目を集める。

「神奈川県を制する者は全国を制す」

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1970、1971年、東海大相模と桐蔭学園が夏選手権大会を連覇したところ、
高校野球回では、そう語られる様に変わりました。

激戦区・神奈川県のレベルの高さをシンボライズする表現で、
春夏通じての初優勝は、古豪・横浜商でも、東京から移替えてきた、
慶應でもなくて、1949年の湘南。

学制改革後、創部4年目の進学校の快進撃は気持ちよかった。

このとき1年生で出場したのが、佐々木久男監督の息子・佐々木信也選手。

チームメンバーとして、他に脇村春夫(後の日本高野連会長)の
名前も見受けられる。

1950年代後半から、1960年代前半は、法政二の時代です。

2年生エース・柴田勲を擁して1960年夏選手権大会に優勝し、
翌春選抜大会で、史上3校目の春夏連覇。

大人のチームと評価されて、洗練された。
1961年夏選手権大会は、夏春夏の3連覇を目指したが、
準決勝で3番連続対戦の浪商(大体大浪商)に勝てない。

3度目の対戦でライバル・尾崎行雄に初めて負けた柴田勲選手は後、
「夏春連覇して、ちょっとばかりなめておりました。
 はっきりした投げ込み、走り込みが不足」と苦笑をしているのです。

それ以後は、東海大相模、桐蔭学園、横浜ら私学の群雄割拠。

1998年には、松坂大輔の横浜から5校目の春夏連覇が達成できている。

このチームの1997年秋~1998年の成績は、負けが一切無い勝率10割。

渡辺元智監督は、夏優勝のお立ち台で、
「史上最強ということで言いと考えています。」と、言った。

割拠に桐蔭学園が割って入った近年だけれど、
ダントツに横浜と東海大相模が2強か。

ことに東海大相模は33年ぶりの出場で準優勝した2010年夏の後も、
春夏4回の甲子園球場で、優勝2回、ベスト41回と、が見事な成績を出している。

ここ5回は、初戦を攻略すればどんなに悪くても準優勝までは進出し、
まさにそれ「神奈川県を制する者は全国を制す」の表現がドンピシャリの
強さを見せつけています。

第31回選手権大会。準々決勝、松本市立戦。
3回裏湘南先頭打者の1年生・佐々木信也が右中間に3塁打を放ち、
一瞬のうちに本塁も付くがタッチアウト。
佐々木信也の父・佐々木久男は監督で、元祖・父子鷹。

神奈川商工から第32回選手権大会に出場した、後の
大沢親分こと大沢昭(啓二)。
エース兼主力打者としてチームを牽引し、甲子園高校野球初戦で白星。
2試合登板9打数4安打。

第90回選手権大会。2試合連続完封リレーとチームに92年ぶりの
夏3勝をもたらした慶應・田村圭。
プロレスラー・力道山の孫で、祖父ゆずりの気迫の投法を披露する。

第80回選手権大会。PL学園との甲子園高校野球歴史に名を残す
延長戦を一人で投げ抜き、続く明徳義塾戦で大逆転を演出する登板。
決勝を59年ぶりの決勝ノーヒットノーランで史上5校目の
春夏連覇に花を添える。

ヒーロー 松坂大輔

「怪物と呼ばれても・・・ぼくはまったくそんな印象ないはずです。
 顔に怖さが見られないといえますから」。

高校時代、気さくにそんなふうに話してくださったのが、
投球内容はまさしく平成の怪物ではあった。

春夏連覇の掛かった1998年の夏は1~3回戦を2完封含む自責点ゼロ。
捕手・小山良男の癖が見破られた(みたいだ)。

準々決勝のPL学園戦は、気迫の救援と登板でミラクル逆転劇を演出。
翌日の京都成章戦では、決勝で意外にも1959年ぶりのノーヒットノーラン達成。

合宿でプロ野球中継を観ながらも、チームメイトが
「マツの方が速い!」といった150キロ超の速球。

高校生には、打てという方が土台無理なんです。
狙って三振を取りに行った最後の打者を含めて、54回で54奪三振。

「あの高校最後の3試合は、まじまじと見ていた人の記憶に
 残ってくださったことでしょう」。後の松坂大輔投手の言葉です。

神奈川県勢甲子園高校野球ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・横浜商 第19回選手権大会
・浅野中 第24回選手権大会
・湘南 第31回選手権大会優勝 佐々木信也
・神奈川商工 第32回選手権大会 大沢昭(啓二)
・法政二 第39回選手権大会準優勝
・法政二 第42回選手権大会優勝 柴田勲
・法政二 第43回選手権大会 鶴岡泰
・横浜 第45回選手権大会ベスト4
・武相 第46回選手権大会 奇本芳雄
・横浜一商 第48回選手権大会
・武相 第50回選手権大会 島野修
・東海大相模 第52回選手権大会優勝 上原広
・桐蔭学園 第53回選手権大会優勝 土屋恵三郎
・東海大相模 第56回、第57回選手権大会 原辰徳
・横浜商 第61回選手権大会ベスト4
・横浜 第62回選手権大会優勝 愛甲猛
・横浜商 第65回選手権大会準優勝 三浦将明
・横浜商 第72回選手権大会
・横浜 第80回選手権大会優勝 松坂大輔
・桐蔭学園 第81回選手権大会
・横浜 第82回選手権大会
・横浜 第83回選手権大会ベスト4
・横浜 第86回選手権大会 涌井秀章
・横浜 第90回選手権大会 筒香嘉智
・慶應 第90回選手権大会 田村圭
・東海大相模 第92回選手権大会準優勝 大城卓三
・桐蔭学園 第94回選手権大会 松井裕樹
・東海大相模 第97回選手権大会優勝 小笠原慎之介

第94回選手権大会史上3位の68個の三振を奪った
桐蔭学園の松井裕樹。
今治戦では、選手権大会史上最多の1試合22奪三振。
10連続奪三振記録。

第97回選手権大会。仙台育英を退けて45年ぶり2度目の
優勝も達成して元気に高歌を歌う東海大相模の
左腕エース・小笠原慎之介と二枚看板の右のエース・吉田凌。

夢へあと1勝 向上

いずれにしても、壁がなんとまあ分厚く高いことなのか。

1966年から出場しておられる夏の甲子園選手権神奈川県大会で、
向上が初めて決勝に進んだというのは1976年です。

このときは、原辰徳選手の在籍していた、東海大相模に
0対19と粉砕されていらっしゃる。

2度目の決勝は1984年です。

後に阪急入りする高橋智が投げ込むが、左腕エース・志村亮の
桐蔭学園に延長で勝つことができない。

そうしてから30年後の2014年、3度目の決勝進出を果たす。

相手は、その年春の選抜大会準優勝で勝っている東海大相模だったけど、
吉田凌(オリックス)に20三振を喫してまたも大惨敗する。

それ以降も夏最後に敗れた相手は、横浜商大、横浜、東海大相模。

激戦区・神奈川県にあるから、越えなければならない壁は、
全国の強豪校だとしても気後れしてしまうレベル。

ですが、平田隆康監督就任以降、100人を上まわる大所帯を組織化すると、
安定した存在感を発揮していることも事実なのです。

2009年の横浜隼人以降初出場を果たせば、
神奈川県からではきちんと20校目の選手権大会出場チームということです。

神奈川県

ペリー来航以来、文字通り日本の玄関の役割りを担ってきた
貿易港・横浜。

京浜工業地帯の中心・川崎を核として、関東から北九州まで
繋がる太平洋ベルト地帯の重要な一角を占める。

東京から100km県内に県全域が入り、ベッドタウン化が進んでいる。

箱根、鎌倉、逗子、江ノ島と観光地も多い。

廃藩置県で、神奈川県と足柄県が誕生。
1876(明治9)年、
足柄県のうち伊豆は静岡県に、相模6都は、神奈川県に編入。

1893年、多摩郡を東京府に移して、現在の県域になる。

神奈川県章は、神奈川の「神」の文字を図案化した。

神奈川県民の誇りを正しい理想、美しい団結を象徴したもの。

神奈川県名の由来は、横浜市を流れていた上無川(かながわ)の基づくという。

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