甲子園カレーとかちわり氷は甲子園高校野球伝統誇る二大名物

1924(大正13)年夏第10回選手県大会、
1957(昭和32)年夏第38回選手権大会

「大阪には~うま~いもんがいっぱいあるんやで~」
関西にとどまらず、東京の保育園でも超人気の歌のように、
甲子園球場でもうまいもんがたくさんで
甲子園高校野球ファンをおもてなし。

甲子園球場フードとしても歴史と伝統を誇っている二大名物は、
「甲子園カレー」と「かちわり氷」です。

甲子園球場職員の手作りであった「甲子園カレー」!

甲子園カレーの歴史は、甲子園球場の歴史だとも言えます。

甲子園球場で初めてカレーが売り出されたのは、
甲子園球場が建てられた1924(大正13)年8月。

日本最先端の場所であるから、日本先端の味をと
大正時代にはまだかなりモダンな食べ物であった
カレーの提供に踏み出します。

初めは、甲子園球場職員が手作りし、食堂で提供する形。

もりぞば1杯が10銭だったご時世に、カレーはコーヒー付きで30銭。

なんとも高級な球場フードであったが、すぐさま人気になって、
甲子園球場の名物フードというわけです。

甲子園球場の中で手作りしていたことは、1980(昭和55)年まで、
以降は、伝統の味は受け継ぎながら、近くの食品メーカーでの
缶入りに変わって、そしてレトルトパックへとアレンジを遂げます。

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かき入れどきは、甲子園高校野球シーズンで、
センバツ大会期間中であればは、約40,000食、8月の選手権大会期間中は、
約90,000食が爆発的に売れ行きがよいです。

夏の選手権大会観客が多い場合ではで90万人くらいですから、
約10人に1人は「甲子園カレー」を食べているわけです。

歴史、人気の両面に据えて、これこそが甲子園球場の味です。

冷して良し、食して良しの「かちわり氷」!

「かちわり、いかがっすかー」。

夏の甲子園高校野球に響く売り子の声に耳を傾けて、
いよいよ甲子園球場に来たのだと感じる甲子園高校野球ファンも
多く見られるのではないだろうか。

1袋に約400グラムの氷が入って税込み200円。

燃えるような太陽の下火照った顔や首に押しつけるも良し。

ストローも一緒になって、溶けた氷を飲んで涼を感じられます。

この「かちわり氷」の売り出し開始と言いますと、
1957(昭和32)年夏第39回選手権大会からなのです。

それより前にも、第1回選手権大会を開催した
1915(大正14)年夏第1回選手権大会当時から甲子園球場内で
砕いた氷の売り出すスタイルはあったわけですが、
金魚すくいのビニール袋をヒントに、
「この方法なら溶かされても飲めるし、頭も冷せる」と、
ストローを付けて商品化したことによって大ヒット商品に。

これは夏の大会期間中に約11万個提供しています。

手に汗握るエールを送る、甲子園高校野球ファンの熱中症対策でも
準備しておかなければいけない「かちわり氷」いかがっすかー!!

甲子園球場のツタと歴史館を大リニューアル工事

2007(平成19)年、2010(平成22)年。

甲子園球場が築80年を過ぎた2007(平成19)年秋、
3年間の大規模リニューアル工事をスタート。

施行を請け負う大林組。

1924(大正13)年の
甲子園球場竣工も手掛けた大林組なればこそ、
歴史と伝統を受け継ぎながら、
設備のセキュリティーやユーザビリティーを引き出すコンセプトを大切に。

そういうわけで課題になったのが甲子園球場のシンボル。

「甲子園球場のツタ」の存在であった。

全国の高校から「ツタの里帰り」!

甲子園球場が出来上がった1924(大正13)年の冬、
「コンクリートだけという外壁は殺風景過ぎて味気ない。
ツタならコンクリートに絡みつき、古城みたいな
風格がでるのじゃないか」と、植栽したツタ。

それから後に、何年にもわたって育ったツタの葉は、
8,000畳分もの広さとなって、「緑のカーテン」として
甲子園球場のシンボルになります。

球児たちの春夏の活躍を見守って継続しただけではなく、
このツタの影響を受けて、気温が上がるとは球場室内の温度が、
外と比較すると5℃~10℃ほど低くなる効果を発揮します。

しかしながら、甲子園球場リニューアル工事によって、
いったん伐採する。

再植樹を実施して活用したということが
「ツタの里帰り」プロジェクトではないでしょうか。

2000(平成12)年夏、「20世紀最後の選手権大会」を
記念し、全国約4,000の高校にツタの苗木をプレゼントします。

そのようにして各学校で成長したツタから状態の良い苗を準備し、
もう一度、甲子園球場の外壁へと植樹を行います。

2009(平成21)年3月に里帰りしたツタを養生地で
育成したツタの再植樹が終わるのです。

以前の様にツタが甲子園球場を覆うほどに約10年かかる
予定すなわち、目安は「夏の甲子園高校野球第100回大会」を
控えている2018(平成30)年。

甲子園球場は昔の様に緑のカーテンをまとい、
球児たちの来訪を心待ちにする。

4253球の「ボールウォール」!

甲子園球場リニューアル完了に合うように、2010(平成22)年
3月14日、球場レフト外野スタンド下に完成された
甲子園球場歴史館です。

甲子園球場を拠点とするプロ野球・阪神タイガースの
資料と比べても、甲子園高校野球の展示物は盛りだくさんです。

各時代に登場した名勝負・名シーンの数々、歴代優勝旗、
長い歴史の中から、光り輝いた名選手達を、昔懐かしい映像や写真、
滅多にお目にかかれない展示品使用して案内しています。

ひときわ圧巻なのが、高野連加盟校数を意味する4253球の白球を
並べた「ボールウォール」です。

甲子園高校野球出場経験を持つ学校はボールに校名を印字。

ぴったりと歴史にその名を刻む。

甲子園高校野球選手宣誓変遷史

“定形絶叫”型から”自分の言葉”語りへ。

以前までは、「スポーツマンシップ」「正々堂々」というような
ありがちな言葉を絶叫するだけでした開会式の選手宣誓。

大きな変化を起こした1984(昭和59)年夏第60回選手権大会で、
福井商(福井)・坪井久晃主将が、初めて前向きに構想した
メッセージを盛った宣誓を行なってから、以降は、
“自分の言葉”で宣誓するスタイルが浸透していくのです。

英語宣誓や手話宣誓を考案した京都西!

一年ごとに、社会の出来事や郷土愛を取り入れてのオリジナリティ
でいっぱいの選手宣誓が評判になる開会式。

その際立った一例として有名なのが、1987(昭和62)年春
第59回選手権大会での英語を取り入れた選手宣誓です。

宣誓したのは、京都西(現・京都外大西/京都)の
上羽功晃主将です。

さらに、単語を忘れてしまって「すみません」と言ったことで
宣誓し正し、微笑ましいエピソードとしても話題を呼んでいます。

京都西は、1998(平成10)年春第70回センバツ大会でも、
三好剛主将が「手話付き選手宣誓」を見せる。

選手宣誓を語る上で、京都西は欠かせない”名門校”です。

ところで、宣誓する主将はどういった方法で決定するのか?

現在、夏の選手権大会は、宣誓を望んでいる主将を募り、
それらの中から抽選で決められています。

春のセンバツ大会は、出場校の主将が全員参加で、
抽選をして決められています。

やはり例外も存在して、
1972(昭和47)年夏第54回選手権大会では、
沖縄の本土復帰後初の大会だったこともあって、
名護(沖縄)の主将を選手宣誓に指名推選している。

「高校野球100年」といった節目の大会2015(平成27)年
夏第97回選手権大会では、第1回選手権大会優勝校・
京都二中の流れを作りあげる、鳥羽(京都)の主将が特例で
指名するとか、節目の大会や事情がある場合は、
高野連会長による指名制が反映されます。

「選手宣誓ジンクス」のウソ!

甲子園高校野球の季節になれば、
「選手宣誓をした学校は優勝不可能な」といったジンクスを
聞いたりしますが、この点は間違いになります。

選手宣誓と優勝旗授与のダブル栄誉を成し遂げているのは、
選抜大会で、
1972(昭和47)年春第44回センバツ大会日大桜丘(東京)
1979(昭和54)年春第51回センバツ大会箕島(和歌山)
1996(平成8)年春第68回センバツ大会鹿児島実(鹿児島)
2015(平成27)年春第87回センバツ大会敦賀気比(福井)の4校。

夏の選手権大会は、
1998(平成10)第80回選手権大会横浜(東神奈川)
松坂大輔を擁して春夏連覇を達成します。

横浜(東神奈川)を始め5校。

それなりにその数というとわずかだが、もとより選手宣誓という大役は、
春夏合わせても、まだ200人も存在しない名誉であるということを
ないがしろにできません!

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