高校野球 施設・阪神甲子園球場

全国中等学校優勝野球大会は、
第2回大会まで豊中グラウンド、第3回大会からは鳴尾球場で
開催されていたが、野球人気が高まるにつれ、
鳴尾球場の仮設スタンドでは観客を収容し切れなくなる。

1923年の第9回大会では、甲陽中(現甲陽学院/兵庫)と
立命館中(京都)の準決勝第1試合で、ロープで仕切っただけの
観客席から押し出された観客が外野に入り込んで、試合が一時中断するという事態に。

急きょ、準決勝の第2試合を別のグラウンドで行って
観客を分散させたが、決勝で地元の甲陽中が和歌山中(現桐蔭)
との近畿対決を制すると人気がピークに。
もはや、鳴尾球場での大会開催が困難なのは明らかだった。

大会主催の朝日新聞社はこの事態を重く見て、本格的な野球場の建設を提案する。

また鳴尾球場の所有者だった阪神電鉄も、武庫川の改修によって
生じた土地の払い下げを受け、さらに周辺と合わせて広大な土地を取得する。
開発の一環で新球場の計画を進め、朝日新聞社側と利害関係が一致した。

球場設計は、1923年に完成していた、ニューヨークのヤンキースタジアムに
匹敵する大球場を目指した。

建設に着手したのは、1924年3月11日。

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全国大会の開幕はすでに8月13日と決まっていたから、わずか5ヶ月弱という
猛スピードで完成させる。

竣工式が行われたのは8月1日。
陸上競技場や他の球戯場としての使用も想定していたためにグラウンドも
広大で、始めてみた人は、その偉容に驚いたと言う。

開場した1924年は、十干十二支の最初の組み合わせで、縁起がいいとされる
甲子年(きのえねとし)に当たっていたため、「甲子園大運動場」と
名付けられた(後に球場と改名)。

観客席6万人という、鳴尾球場とは桁違いの収容能力を誇り、
その当時としては画期的な大球場だった。

8月13日の開幕第1戦は、北海中(北海道)対静岡中(静岡)。
延長12回で北海中がサヨナラ勝ちをする。

甲子園球場建設当初は、さすがにここが観客で埋まることは
ないのではと関係者も考えていた大球場、お盆と重なった
15日には満員札止めとなり、翌16日も同様で、甲子園球場前には
徹夜組みが1000人出たと言われる。

なお、この大会から7日間通しの指定券が5円で発売されている。
甲子園球場の初代優勝は、広島商。

中国地方以西、また商業学校の優勝も始めて。

施設・リニューアル

1924年に建設された甲子園球場は、随時改修してはきたものの、
80年を経過すると老朽化が目立つようになった。

2004年に大改修の具体案がまとまり、2008年から全面的な
リニューアル工事を行う。

とはいえ春夏の高校野球を甲子園球場以外で開催することは考えられず、
さらにプロ野球でも使用することから、実施するのは10月から3月のオフシーズン。

2007年度(2008年3月まで)には内野スタンド、2008年度はアルプススタンド、
証明塔、銀傘、2009年度には外野と売店の改修を行った。

またこのときに甲子園歴史館が完成し、球場外周が整備された。

4年がかりのリニューアルが完了。

これにより、収容人員は4万7000人に縮小。
フィールドの広さは公称で中堅118メートル、両翼95メートルに変更された。

かつては、席によってはかなり窮屈だったり、銀傘の支柱によって
見にくかったりした内野席も、支柱の撤去によっておおむね解消した。

リニューアル後も、スコアボードの形状を含め、
甲子園球場独特の雰囲気が残っているのは好ましい。

外周道路のレンガブロックを
「KOSHIEN NAMING BRICK MEMBERS」として購入者を募り、
ブロック1個ごとに購入者の氏名や短文を刻印して、敷設したことも好評。

リニューアル前は、ところどころに
「自転車持込禁止」と内壁に記され
(かつては、自転車で観戦に来る観客も多く、球場周辺には有料で
 自転車を預かる業者が多数いた。その代金を倹約しようとする
 観客が、スタンドに自転車を持ち込もうとしていたらしい)、
古い時代の風情もあったが、さすがにかつての名残は姿を消した。

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