甲子園球場 施設・芝 甲子園球児たちは選抜大会でも美しい緑の芝でプレーが出来る

高麗芝、後に採用したティフトンという種別も冬枯れする。

芝が茶色いままの、春の選抜大会の古い映像を見たことがあるでしょう。

そこで甲子園球場を維持管理している阪神園芸は、冬でも枯れない
ゴルフ場の芝を研究し、夏芝のように冬芝の種を蒔く
オーバーシードという方法を採用。

19882年、ティフトンの上に、寒さに強いペレニアルライグラスの種を蒔く。

これで通年緑化に成功、甲子園球児たちは春の選抜大会でも美しい緑の
芝でプレーできる。

以来、随時芝の張り替えを行って来ましたが、2016年1月には、
内野と外野の境界線でもある芝を、1メートル外野側に下げる。

1017年6月にも、さらに2メートル下げ、それだけ内野の土の部分が拡大。

これは、プロ野球で強打者に対して内野手が深めに守ることが増えて、
その際に芝の上で守ることも気にする選手が多いため。

近年の高校野球でも、広くなった内野部分で芝ギリギリという深めの
守備位置を取る、強肩自慢の選手も見られる。

2018年3月には、外野フェンス下にあった、赤土の部分を人工芝化。

これは甲子園球場のインフィールド部分でははじめての人工芝敷設で、
従来の赤土では雨天時に流れ出てしまい、整備に手間がかかるため。
人工芝で思い出されるのが、1979年夏の選手権大会の名勝負がある。

箕島(和歌山)対星陵(石川)。
1対1で突入した延長戦で、星陵が12回と16回表にそれぞれ勝ち越すが、
箕島はその度に追いつき、ついに18回裏にサヨナラで決着をつける試合。

16回裏の箕島は、2死走者なしながら森川康弘選手が一塁側に
ファウルフライを打ち上げる。

万事休すのはずが、星陵の一塁手が「オーライ」の仕草をした後で、
転倒。ゲームセットのはずが、命拾いで打ち直しの森川康弘選手が
ホームランを放つ。

奇跡的に同点に追いついている。
実は、一塁手が転倒したのは、その春ファウルグランドに張られたばかりの
人工芝と土とのわずかな段差につまづいたらか、甲子園球場には魔物が潜んでいる。

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甲子園球場 施設・土

甲子園球場の内野グラウンドには、独特の黒土が使われている。

もともとは淡路島の土が使われていたが、現在は鹿児島、岡山、鳥取、大分と
日本国内の黒土と、中国福建省の白砂のブレンド。

季節によって異なる雨量や太陽光量を考慮に入れ、春は白砂を多めに、
「黒土5.5:白砂4.5」、夏は黒土を多めに「黒土6:白砂4」を入れ、
ブレンドの比率を替えている。

スタンドの観客席からも、スピードのあるボールの行方を見やすくするためで、
このあたりもグラウンド整備を担当する、阪神園芸のこだわり。

高校野球では、甲子園球場で敗退したチームの選手たちが、甲子園球場出場の
記念として土を袋に入れ持ち変えるのが当たり前になっている。

この習慣の起源にいくつかの説がある。
・1937年夏、第33回選手権大会決勝で敗れた熊本工の川上哲治(元巨人)が
ユニホームのポケットに甲子園球場の土を入れて持ち帰り、
母校のグラウンドに蒔いた。
川上哲治氏は甲子園球場以外で同じようの事をしていた選手の
マネだと後に語る。

・1946年夏の第28回選手権大会、準決勝で敗退した東京高等師範附属中
(現筑波大附)の佐々木迪夫監督が、最上級生以外の選手に、
各ポジションの土を手拭に包んで持ち帰る。
来年また返しに来よう、という意味。
これは米軍接収中の甲子園球場ではなく、阪急西宮球場でのこと。

・1949年夏の第31回選手権大会、準々決勝で敗れた小倉北(現小倉)の
エース・福嶋一夫選手がホームベースの後方で足元の土を掴み
無意識にズボンのポケットに入れる。
大会役員からの励ましの速達でこれに気づいた福嶋選手は、
選択前のユニフォームから土を取り出し、玄関にあった
ゴムの木の植木鉢に入れる。

前記の3例はいずれも夏選手権大会であり、春選抜大会に敗退したとしても、
その時点で甲子園球場の土を持ち帰るチームは少ない。

その行為は、例え無意識にしろ、夏選手権大会には来られなかったときの
ための記念という意味になるためで、高校時代に甲子園球場で出られなかった
元プロ野球選手は、
「プロに入って初めて甲子園球場で投げた時、試合の後にスパイクの裏に
付いた土をこっそり取っておいたことがある。」

野球にとって、土は特別なものであるようです。

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