三重県代表・四日市工第73回選手権大会(1991年)3回戦 劇的な幕切れ

●三重県勢甲子園高校野球戦績上位校
・優勝
四日市 第37回選手権大会
・準優勝
三重 第96回選手権大会
・三重県勢甲子園高校野球出場回数上位校
三重12回、海星11回
・三重県勢甲子園高校野球初出場校
三重四中 第1回選手権大会
・三重県勢甲子園高校野球初勝利校
四日市 第37回選手権大会

第91回選手権大会。
熊本工戦の延長10回裏、サヨナラのホームランで
三重県勢11年ぶりの勝利にエキサイトする三重・松田渉吾。

第1回選手権大会(1915年)に三重四中を送り出し、球史に刻み込んだ三重。

戦前の出場は、その1回だが、野球界には沢村栄治(京都商)、
西村幸生(宇治山田商)、三重県出身の名選手が輩出しております。

その当時は、三重県大会を勝ち残っても強豪揃いの東海大会を
突破しなければならず、壁は厚い。

第30回選手権大会からは、岐阜と争う三岐大会となるが、
1県1代表になった第57回選手権大会より先に甲子園高校野球に
出場できたのは、13回に過ぎなかった。

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苦戦気味であった三重球史に何にも増して輝く栄冠が、
第37回選手権大会の四日市の初出場初優勝。

三岐大会で県岐阜商に打ち勝って三重県勢3度目の代表を掴む。

エースの高橋正勝の好投もあり三重県勢初勝利を挙げると、
準優勝では前年度優勝の中京商(愛知)に6対1と勝利し、
坂出商(香川)との決勝を制し、1721校の頂点に立つ。

大会終了後、高橋正勝投手は、
「最後まで優勝できるとは思わなかった。
ただ一試合一試合を大事に投げている間に優勝できた」
と記憶をたどる。

ここ数年は、第68回選手権大会に出場した明野が、
「やまびこ打線」の池田高校(徳島)に7対2と打ち勝った一戦や、
第73回選手権大会に井手元健一朗投手擁する四日市工が
松商学園と演じた延長16回の死闘は、全国甲子園高校野球ファンの
心に刻まれる。

胸のすく快進撃が見られたのは、第96回選手権大会。

夏春夏3季連続出場の三重は、試合を重ねるたびに打線が力を付け、
左腕・今井重太朗も切れの素晴らしい球をテンポよく投げて
三重県勢59年ぶりの決勝まで駆け上がった。

第73回選手権大会投打の軸として活躍し初戦の延岡学園戦で
完投勝利を収めた四日市工のエース・井手元健一朗。

ヒーロー 井手元健一朗

その瞬間、マウンドに崩れ落ちた。

第73回選手権大会(1991年)3回戦。
春選抜大会で準優勝の松商学園(長野)との一戦は、3時間46分にわたる
熱戦を迎えることになった。

有力校を相手に井手元健一朗投手は、ひたむきに投げ続けたが、
延長16回裏、松商学園1死満塁のその初球、232球目は、
4番・上田佳範の右肩を直撃。押し出し四球でサヨナラ負け。

ドラマチックな幕切れを迎えることになった。

三重大会では36イニングで失点1と見事な安定感を誇り、
決勝は、春選抜大会に出場の三重を退け、甲子園高校野球初出場を果たす。

初戦(2回戦)で好投手・黒木知宏(ロッテ)擁する延岡学園(宮崎)戦に
競り勝って初勝利。

井手元健一朗投手もチームも勢いに乗りかけていたのですが、
全ての人予想がつかない決着でした。

試合終了後、井手元健一朗投手は、
「今は悔しいばかり、18回まで投げて再試合するつもりだった」と、言葉を詰らせる。

第37回選手権大会。無欲の快進撃で初出場ながら、三重県勢初の栄冠に
輝いた四日市のエース・高橋正勝。
大会後ハワイ遠征選手に選出。
初優勝した四日市の選手たちは、選抜大会中、
宿舎でギターを弾いてくつろいでいた。

第85回選手権大会。
140キロ超の直球とスライダーが武器の本格派右腕・宇治山田商の江川智晃。

第90回選手権大会。直球と変化球の配球よく力投した
萩野のエース・西勇輝。卒業後はオリックスに入団する

夢へあと1勝 ジオリオン

ジオリオンは1963年に開校した私立校。

日没後も9時まで練習、ノックを素手で捕らせるなど凄い練習で力を
つけて三重県下の強豪に急成長してます。

1968年夏、「打者一巡の集中打がこのチームの武器」といった評判通り、
第2シードで勝負を挑んだナインは打ちまくった。

初戦で伊勢工を16対2、5回コールドで退けると、3戦連続コールド勝ち。

15イニングで37点、驚くほどの破壊力を見せ付けます。

三重大会決勝の相手は、翌春選抜大会に、甲子園高校野球優勝投手となる
上西博昭を擁する三重。

ジオリオン打線は、17安打を放つも決定打が見られず、
1対7で甲子園高校野球までの切符を逃がす。

この見事な活躍ぶりに前後して学校経営が悪化。

1969年7月破産宣告、1965年当時には600人近く居た在校生も、
最後は109人に、彼らは夏休み中に転校し、9月には廃校になって歴史を閉じた。

チーム・三重高校

松阪市にある私立の共学校。
創立は1961年。
1962年中学を開校して、松坂女子高、女子中を分離設立した。

1985年に中高一貫教育体制を導入。
1994年に松坂女子高を統合し共学化。

1918年4月より、梅村学園から独立した学校法人三重高等学校が運営する。

かつての兄弟校として愛知の中京大中京、岐阜の中京学院大中京があり、
ともに野球を強化した歴史がある。

野球部は1961年に創部され、1966年春選抜大会と夏選手権大会に
それぞれ初出場を果たす。

1968年夏選手権大会ベスト8.準々決勝の相手は優勝した
大阪の興国だった。

このときのレギュラー6人が2年生で、半年後の1969年春選抜大会での
初優勝に繋がる。

その夏は春夏連覇を狙ったが、初戦敗退。

2014年夏選手権大会も決勝に進んだが、大阪桐蔭に3対4の惜敗だった。

1918年春選抜大会の準決勝でも、やはり大阪桐蔭に2対3の1点差で
敗れたことは記憶に新しい。

夏選手権大会12回12勝12敗、春選抜大会13回16勝12敗。
合計28勝は43位タイ。

OBは、水谷新太郎(元ヤクルト)、清水昭信(元中日)、加藤匠馬(中日)。

選手・沢村栄治(さわむら えいじ)

1933年春選抜大会、1934年の春夏と甲子園高校野球に出場した
伝説の名投手。

1917年2月1日、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれ、
1930年に京都商(現京都学園)に進学した。

3年でエースとして幼なじみの山口千万石とバッテリーを組み、
4年時にはチーム初出場の春選抜大会でベスト8に進んでいる。

翌1934年夏選手権大会は、京津大会1回戦で膳所中(滋賀)を完封し、
準決勝は京都一中(現洛北)を2安打1失点、決勝は府大会準決勝で
敗れていた、平安中(現龍谷大平安)を1安打で完封し、
夏選手権大会の初出場を果たす。

ただし甲子園高校野球では投手を1メートル前から投げさせて
沢村栄治対策をした鳥取中(現鳥取西)がわずか4安打ながら
3点を奪い、京都商は1対3で敗退。

剛速球と大きなカーブを武器に、甲子園高校野球に3回出場した
沢村栄治投手だが、トータル3勝3敗に終っている。

しかし、6試合で79三振というドクターKぶりはさすがだった。

沢村栄治氏はこの年10月に京都商を中退して、
全日本に参加すると、草薙球場で全米オールスタート対戦。

破れはしたが、ソロ本塁打のみの1点に抑えたのだから、
わずか3ヶ月前の甲子園高校野球で、中学生がよくぞバットに
当てたものだ。

沢村栄治氏は、全日本選抜からそのまま後の巨人入りしたが、
1944年に戦死。

伝説の速球投手となった。

三重県勢甲子園高校野球ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・四日市 第37回選手権大会優勝 高橋正勝
・松阪商 第40回選手権大会 土井文夫
・三重 第48回選手権大会 水谷孝
・三重 第50回選手権大会 上西博昭
・明野 第68回選手権大会 奥野博之
・海星 第71回選手権大会 森健郎
・四日市工 第73回選手権大会 井手元健一朗
・海星 第78回選手権大会
・海星 第78回選手権大会 岡本篤志
・宇治山田商 第85回選手権大会 江川智晃
・宇治山田商 第89回選手権大会 中井大介
・萩野 第90回選手権大会 西勇輝
・三重 第96回選手権大会準優勝 今井重太朗

三重県

南北に細長く、東は伊勢湾、南は熊野灘に面し、中央部から
真珠養殖で知られている志摩半島が太平洋に向って突き出ている。

江戸時代にはお伊勢参りが流行り、桑名や四日市は宿場町として賑わった。

近年は、石油化学コンビナートの四日市を中心とする重化学工業、
鈴鹿のオートバイ、自動車工業、津の造船業と工業の発展がめざましい。

安濃津(あのつ)、度会(わたらい)の2県が1876(明治9)年、
合併して三重県に。

旧国名は伊勢、志摩、伊賀、北牟婁郡は紀伊になる。

三重県章は、三重の「み」を図案化。特産の真珠を象徴する。

三重県名の由来は、水辺(みえ)から、古事記にはヤマトタケルにちなんだ
地名命名譚もある。

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