宮城県高校野球史に欠かせない竹田利秋が選ばれた

●宮城県勢甲子園高校野球戦績上位校
・準優勝
仙台育英 第71回選手権大会、第97回選手権大会
東北 第85回選手権大会
・ベスト4
仙台二中 第29回選手権大会
東北 第41回選手権大会
・宮城県勢甲子園高校野球出場回数上位校
仙台育英 第26回選手権大会
東北 第22回選手権大会
・宮城県勢甲子園高校野球初出場
仙台一中 第9回選手権大会
・宮城県勢甲子園高校野球初勝利
東北中 第16回選手権大会

第71回選手権大会。決勝にかけて6試合56イニングを投げ抜いて、
宮城県勢初の決勝進出の立役者は、仙台育英・大越基投手。

甲子園高校野球出場回数を切磋琢磨する仙台育英26回と、東北22回の
「私学2強」が計3度、深紅の大優勝旗の柄を掴みかけている。

宮城県高校野球史で重要なのは、
和歌山工時代に春の選抜出場されている竹田利秋氏(国学院大総監督)。

監督になった1968年に東北を7年ぶりの出場に導き、
それを契機として退任する気になっていましたが、抽選会で対戦相手方に
東北勢を射止めると、あたかも勝ったかのごとく喜ぶ
西日本勢の選手と、うつむく東北地方の選手を目にして、
「東北を鍛え上げたい」と、人生を決定づけます!

第67回選手権大会で、佐々木主浩(横浜)らを先導して8強入りを
果たす時点では、対戦相手は「東北・・・」と恐れられることになります。

すぐ後で、仙台育英の監督に。

4年目の第71回選手権大会、大越基(ダイエー)の力投もあって、
宮城県勢初の決勝戦へ。

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前日の夜までに届けられた激励の電報は、3,000通。
甲子園球場でも、大越基投手の1ストライク目に大きな拍手が
起きたのです。

決勝が4連投目となった大越基は、
「何を隠そう、体はきつかったですが、あの拍手が
僕にとっては途方もなく大きいエネルギーになったのです」。

帝京・吉岡雄二との投手戦は、延長10回に渾身の真っ直ぐを打たれて、
準決勝に、春夏通算30勝27敗の成績を残しているのです。

ダルビッシュ有(カブス)が2年生の第85回選手権大会が、
東北にとっての初決勝。

エースの熱闘も言うまでもなく、背番号18の右横手投げ、
真壁賢守の好投が光りました。

第97回選手権大会、平沢大河(ロッテ)らの見事な活躍ぶりで、
仙台育英がまたしても迫ります。

あと一歩を克服するのはどこなんだろうか。

第85回選手権大会は準優勝。
翌夏第86回選手権大会は、3試合連続完封眼前で敗戦する、
東北・ダルビッシュ有投手。

ヒーロー ダルビッシュ有

第85回選手権大会。194センチの長身、長い手足から繰り出している
速球とたくさんの変化球、イランと日本の血を引く端正な顔。

東北2年のダルビッシュ有投手(カブス)に、球児、女子高生、
高校野球ファン、それからマスメディアも釘付けになったのです。

しかしながら、初戦に先発するも持病の腰痛に耐えることができず、
2回降板。

2、3回戦は完投するわけですが、リリーフした準々決勝後に、
右脚スネのケガが明らかになります。

準決勝を背番号18の真壁賢守投手らに頼み決勝へ進出いたします。

自分から志願した、常総学院戦は完投したのですが、2対4で敗れ、
人目もはばからず大泣きします。

「あの常総学院戦が高校時代で一番思いで深い。
3年生が最後の試合ということで、とにかく勝ちたかった」と、
聞いています。

主将となって甲子園高校野球に戻ってきた翌年は、3回戦敗退します。

パ・リーグ日本ハムに入団し、7年間で通算93勝38敗、防御率1.99。

2012年から大リーグで実績を残している。

第51回選手権大会。
攻守で活躍しチームを初の8強進出へと導く仙台育英4番・八重樫幸雄捕手。
卒業した後は、セ・リーグヤクルトに入団しています。

第58回選手権大会に、8強入りした東北エース2年生の佐々木淳(順一朗)。
後に仙台育英監督で第97回選手権大会に準優勝する。

第67回選手権大会。
春夏ベスト8入りに導く、東北・佐々木主浩投手。
準々決勝で甲西に9回逆転で惜敗。

第80回選手権大会。
京都成章に敗れる。その当時仙台のマネージャー・太田沙織さんの
兄は元オリックスの太田敦正選手。

夢へあと1勝 佐沼

宮城県の高校野球は、東北と、仙台育英が「私学2強」、
1980年以降、両校のどちらとも宮城県大会決勝に進まなかったというのは
4大会ぐらい。

挑む側から考えれば、行く手を阻む途方もなく大きい壁。

2強が早々に敗退したのは、2014年の第96回選手権大会。

仙台育英が4回戦、東北が準々決勝で破れるのです。

この年の決勝は、勝ったならばいずれも初優勝。
3年ぶり進出の利府を相手にした佐沼は、第28回宮城県予選の
決勝進出こそあるものの、第2回選手権大会に初参加以来。

甲子園高校野球をかけた宮城県大会の決勝には初めての進出です。

「相手が2強じゃなければ」。
学校がある登米市民の熱望は膨れ上がる。

OBには千葉ロッテ2軍監督に就任した佐々木信行氏、
漫画家の故・石ノ森章太郎氏。

新しい「我が街の誇り」幕開けを夢見ますが、結果は2対3。

そうだとしても、2年後にまたしてもベスト8へ進出しているわけです。
市民は実りの「夏」を待っています。

宮城県勢ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・東北中 第16回選手権大会
・仙台二中 第29回選手権大会ベスト4
・仙台二中 第38回選手権大会
・東北 第41回選手権大会ベスト4 黒川豊久
・仙台商 第51回選手権大会 八重樫幸雄
・東北 第58回選手権大会 佐々木淳
・東北 第67回選手権大会 佐々木主浩
・仙台育英 第71回選手権大会準優勝 大越基
・仙台育英 第76回選手権大会
・東北 第85回選手権大会準優勝 ダルビッシュ有、真壁賢守
・東北 第87回選手権大会 加藤政義
・仙台育英 第88回、第89回選手権大会 佐藤由規、橋本到
・仙台育英 第94回、第95回選手権大会 上林誠知、熊谷敬宥
・仙台育英 第97回選手権大会 佐藤世那、平沢大河
・仙台育英 第99回選手権大会 長谷川拓帆

宮城県

ササニシキのふるさと仙台平野が広がる。
東北地方では比較的平坦な地形を持つ。

海岸中央部には日本三景の一つ松島があるが、湾岸の都市化、
工業化で景観も変化してきました。

伊達政宗公が礎を築いた仙台市は六十二万石の城下町として
発展を続け、1989(平成元)年、
全国で11番目の政令指定都市になります。

管庁施設、企業の支社、支店も多い東北の中核都市。

廃藩置県で、仙台県が誕生。

1872(明治5)年、宮城県に改称、周辺地域の合併、移管を経て
現在の県域になったのは、1876年8月。

宮城県章は、みやぎの「み」と
県花・ミヤギノハギを図案化したもの。

宮城県名の由来は、宮なる城=大王の城、
すなわち古代の国府・箍城を指すという。

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