新潟県・日本文理 ヒーロー 飯塚悟史投手

●新潟県勢甲子園高校野球戦績上位校
・準優勝
日本文理 第91回選手権大会
・ベスト4
日本文理 第96回選手権大会
・新潟県勢甲子園高校野球出場回数上位校
中越10回、日本文理9回、新潟明訓7回、新潟商7回
・新潟県勢甲子園高校野球初出場校
長岡中 第4回選手権大会
・新潟県勢甲子園高校野球初勝利校
長岡中 第6回選手権大会

第91回選手権大会決勝。9回表、日本文理は2死満塁から
6番・伊藤直輝の左前安打で三走に続き、
二走・吉田雅俊が生還する。

9回裏、日本文理は1点差に追いつくも、若林尚希は
三塁ライナーになって試合終了する。

第92回選手権大会。報徳学園戦、適時打で本塁を突く
二走・長谷場隆をアウトとした明訓の捕手は、間藤諒。

事実上の優勝決定戦・・・岩手県出身の仲間と、
2007年の夏選手権大会、初戦での花巻東と新潟明訓の対戦が決定する。

大会前まで、7年連続初戦敗退中の新潟の夏選手権大会の勝利数は14、
勝率と一緒に47都道府県最下位。

岩手県の勝利数は24ではあるが、勝率では下から53番目。

試合は、新潟明訓・永井剛が花巻東打線から毎回の14三振を奪い、
5安打完封。打線も1年生投手・菊池雄星の代わり端に1点を奪い、快勝します。

2年後の2009年には、春選抜大会で花巻東が、夏選手権大会は、
日本文理が準優勝。

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優勝決定戦という反語的治自じゃくは、まんざら大風呂敷でもなくなっていくのです。

長野県勢、後には富山県勢に押され、甲子園高校野球出場自体が
ほとんどなかった新潟県で、初めて2勝することが1981年、旋風を招いた新発田農。

全国でも結果が得られるようになってきた新潟明訓、いくらか乗り遅れて日本文理の
私学2強が台頭した2000年代からだといえます。

大井道夫・日本文理監督が、
「新潟県に居たら、140キロのピッチャーとは対戦が叶わなかったんだもの」と
語っていることから、関東圏のチームとの練習試合から吸収し、
ジュニアリーグ経験者が増加してきたことも躍進の一因だと考えられます。

現在では、最多10回甲子園高校野球出場の中越も巻き返しているのです。

優勝旗の三國峠越えという”大風呂敷”が叶えるのはいつであろうか!

第96回選手権大会。準優勝、三重戦。1回裏に先制点を許し、
投手・飯塚悟史に声をかける捕手・鎌倉航。
5年ぶりの決勝になることはなかったのです。

ヒーロー 飯塚悟史

雪の残る日本文理のグラウンドで聞くと、
2009年夏選手権大会、中京大中京との甲子園高校野球決勝を見て、
「新潟県勢のチームもこの段階まで可能なのだ」と、日本文理進学を決定づける。

してみると、2013年秋には北信越を制覇し、明治神宮大会でも
優勝まであと一歩と迫ります。

2014年の春選抜大会は初戦で敗退するわけですが、
夏選手権大会、日本文理は飯塚悟史がじっと見ていた2009年夏以来の
ベスト4に進出し、飯塚悟史投手も全5試合を完投します。

休養日の後の準決勝で三重に勝利することが出来ませんが、
「自分は休養日抜きで、行きたかった」とは、エースのプライドなんだろうか。

「背番号1が大好き、キャプテンの小6のときに着けた番号がイヤでした。」

今、プロ野球界で登板する姿を見るたび、思い浮べる。

第54回、第55回選手権大会にエースとしてマウンドに立って、
2年連続で甲子園高校野球出場を勝ち得た糸魚川商工・黒坂幸夫投手。

第63回選手権大会。広島商戦、9回表、新発田農は、
併殺崩れの間に三走・小池誠一が生還。

第66回選手権大会。明徳義塾戦、決勝の本塁打を放ち、
ガッツポーズで二塁に向う新潟商・林真道。

第90回選手権大会新潟県大会。
決勝進出に導く佐渡の中河達哉投手と斎藤優輝捕手。

夢へあと1勝 佐渡

佐渡島勢の甲子園高校野球出場は、2011年春選抜大会の
佐渡(21世紀枠)がありますけど、夏選手権大会はまだまだです。

惜しかったというのは2008年です。
準決勝で常連の中越に勝利する佐渡が、決勝に進出しています。

新潟県央工に延長11回で負けてしまうが、決勝進出は佐渡島内初の快挙です。

このとき、新潟県央工は鈴木春樹監督で、佐渡は深井浩司監督。

2003年、柏崎が21世紀枠で春選抜大会に出場した時の
監督・部長コンビという因縁でありました。

有望選手は何かと便が申し分ない本土の強豪に進学するのは、
離れ島勢の宿命だと考えられます。

そうだとしても、村田兆治氏の離れ島甲子園高校野球創立をきっかけに、
「地元から甲子園球場へ」と夢を抱き、島にとどまる球児も多くなったと言われています。

2017年のドラフト候補で、佐渡から初のプロ野球選手誕生かと
言われた146キロ右腕・菊池大輝(佐渡→桐蔭横浜大)もその一人でした。

佐渡から夏選手権大会、甲子園高校野球へ。

面積の小さな離れ島の石垣島でも、それくらい叶ったのです。

新潟県

越後平野を三方から取り囲んでいる県境の山々の影響から、
冬は全国一の豪雪地帯となる。

夏野気温は高く、信濃川の豊かな流れにも恵まれ、
コシヒカリを産し、日本の穀倉地帯と言われる。

石油、天然ガスを原料とした工業も盛ん。

関越、北陸高速道路や上越新幹線の開通により、首都圏との
結びつきが強くなってきた、

廃藩置県後、多くの県が誕生しますが、
1973(明治6)年柏崎県、1876年相川県が新潟県と合併。

1886年に福島県から東浦原郡が編入し、現在の新潟県が成立する。

新潟県章は、「新」と円形に模様化した「ガタ」を組み合わせたもの。

新潟県名の由来は、信濃川河口に地形変動が新しい潟が生まれたところから。

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