甲子園球場 日本文理(新潟)決勝戦9回2死からの逆襲

日本文理9回2死走者なしから5点の終らない攻撃

プレイボール時、中京大中京の先発エース・堂林翔太。

この大会(第91回選手権大会)では投打にパワー全開で活躍。

決勝もふさわしいスター振りは健在で、初回の先制2ランにとどまらず、
6回裏にも堂林翔太投手の安打を含めヒット5本を重ねて6得点。

それから7回裏にも2点を加え、中京大中京が大量リード。

先発、堂林翔太投手は、6回途中で交代し、以降は外野を守る。

けれども、最後はエースで白星を挙げたいと、9回表、
背番号1の堂林翔太がもう一度マウンドへ。

あっけなく2死になって、優勝まで後アウト1つ。
だけども、日本文理の逆襲はこのポイントからだったのです。

1番打者が四球で出塁することによって、
続く2番の二塁打で勢いよくホームに還り5対10。

さらに3番打者の二塁打で1点を追加。6対10と点差は4点に。
けれども続く4番打者は、ありふれたサードへのファウルフライ。

みんなが「終った!」と考えたその瞬間、
中京大中京の三塁手がボールを掴み損ねて捕ることが出来ないです。

甲子園球場はどよめきに包み込まれる。

スポンサーリンク

これにより動揺したためしょうか、堂林翔太投手は4番打者に四球を与え、
2死一・三塁になってまたしてもマウンドを降ります。

そうだとしても日本文理の勢いはストップすることなく、
四球と2本のタイムリーで9対10。2死から5点を奪い取り、ようやく1点差に。

なおも2死一・三塁、一打同点、長打なら逆転といった場面で、
この回日本文理10人目の打者が放った打球は、快音を残しサード方向へ。

敗者に笑い顔の日本文理ナイン

抜ければ同点! といった強烈な打球でありましたが、残念なことに三塁手の真正面。

これを掴まえて試合終了。

中京大中京が1点差勝利で、春夏合わせて史上最多11度目の栄冠を得ます。

けれども、試合後に満足気な表情を見せていたのって、やっぱり日本文理ナイン。

奇跡の逆転劇は適わなかったが、
それに同様な濃密なドラマの主人公になったのは変わりはありません。

日本文理ナインが見せた9回2死からの逆襲は19分間。

その短い時間以上の見応えと興奮は、
甲子園球場決勝というような大舞台であるために出現した珠玉のドラマでした。

甲子園球場春の選抜大会始まる初代代表8校と初代王者・高松商

春の風物詩としても定着している選抜高等学校野球大会。

その産声が上がったのは1924年4月1日。
愛知県名古屋市郊外にある山本球場が舞台。
開催のキーポイントは、夏の全国大会の人気っぷり。

毎年、野球熱が高くなるに引き連れて、もう一つの全国的な権威ある大会の
開始を求める声が日本各地で盛り上がりをもたらしていた。

また、夏の全国大会は、地方大会から全国優勝まで、負けると終りの勝ち抜き戦。

巡り合わせに左右されて実力が出し切れなかったり、地区のレベルが高すぎて、
実力があったとしても代表校になり得ないことだって考えられる。

そうであれば、全国から優秀なチームを選んで試合をさせたらどうだろうか。
そういった声から、毎日新聞社主催で考えられたのが、春の選抜大会。

野球王国、四国からのチャレンジャー

栄えある第1回大会に選抜されたのは、
東京、東海、近畿、四国の4ブロックから、リーグ戦などの成績により、
和歌山中、早稲田実、横浜商、愛知一中、立命館中、市岡中、高松商、松山商の8校。

その中でも「野球王国」と呼ばれるくらい野球熱の高かった四国からは、
どんなときも松山商の厚い壁を敗れず夏の選手権大会には出場ができなかった
高松商を加え、特別に2校を選出。

そして、その高松商が文句なしに予想に応えて披露した。

1回戦、当時最強軍団と謳われた和歌山中を相手にして、
1回裏高松商の先頭打者の野村栄一選手が放った打球は、
山本球場の狭いレフト奥のトタン塀を越えた大会1号ホームランに。

その後、一度は先手を取られながらも、
9回裏に一挙3点を返して驚異的な逆転サヨナラ勝ち。

その次の準決勝にでも勝利し、早稲田実との決勝に到達した。

名門同士の決戦、高松商 vs 早稲田実

夏の選手権大会にも、
第1回選手権大会から出場をしながら優勝経験の見られなかった早稲田実。

その分だけ、選抜大会での優勝に期するものが見つけられたが、
フタを開いて見たら勝ったのは高松商(香川)。

4回にホームランで先制すると、
7回にも価値のある勝ち越し点を挙げ、2対0で勝利。

夏の選手権大会を通じて四国勢として初めての経験で優勝を果たし、
紫紺の大優勝旗を四国に持ち帰って行った。

高松商は翌年夏の選手権大会でまたも早稲田実を下し、
四国勢で初の夏を手にしている。

この第1回選抜大会で出たホームラン数の多さは、当時としては異例の12本。

球場の狭さもあり長い間参考記録扱いでしたが、現在は公式記録として認定されてます。

甲子園神奈川県を制するものは全国を制す

高校野球格言のひとつで、間違ってもオーバーな表現というのではなく、
参加校の数、そうして強豪校の数いずれも全国トップレベル。

そんな神奈川県の高校野球を長年に渡ってリードしてきたのが横浜高校。

そして、横浜で指導者を50年務め、強豪校に育て上げたのが、
名将・渡辺元智監督と名参謀と呼ばれた小倉清一郎コーチ。
横浜野球部のOBの2人です。

精神の渡辺元智氏と技術の小倉清一郎氏、
指導者になったばっかりの頃は、熱意を持って猛練習の日々であったと言う
渡辺元智監督。

その当時の横浜には照明設備がなくて、日が暮れたら車のヘッドライトを
灯して守備練習を繰り返していたそうです。

真上から照らす照明とは違うようで、横から照らす車のヘッドライトは
光が目に入って、本来は守備練習どころの話ではありませんでしたが、
眩しいということは腰の高さが中途半端で身構える姿勢からですので、
腰を落として守れば眩しくないという事を見つけ出す。

これがあったので横浜の守備力はレベルアップする。
1973年春第45回選抜大会での初出場初優勝という快挙に到達したと言う。

1980年には、左腕エース・愛甲猛の活躍で夏の選手権大会初優勝。

愛甲猛投手は地元では誰もが知る警察のお世話になることも珍しくなかった悪ガキ。

渡辺元智監督は、その問題児を自宅に住まわせ、私生活の面倒まで見るために
野球に集中させてしまった。

その熱意がもたらした全国制覇だったのです。

愛甲猛投手だけに限らず、選手との対話を通じて精神面の指導をすることが
渡辺元智監督の大事な役目。

一方、小倉清一郎コーチは技術的な指導と、相手チームを突き進めて
分析して丸裸にするというのが仕事。

また、有望な中学生の存在を聞きつけると、マメに顔を出して、
誘うことだって小倉清一郎コーチの役目だったのです。

そんな二頭体制の集大成を迎えることになったのが1998年。

小倉清一郎コーチの熱烈な誘いを受けて入学した、
松坂大輔投手を熱を込めて鍛え上げ、史上5校目の春夏連覇を達成します

4つの年代で全国を制した唯一の監督・渡辺元智

2006年の第78回選抜大会では、決勝戦で21対0という段違いの打撃力を
活かし、5度目の優勝で結果が出た横浜。

その後、小倉清一郎コーチは2014年に、渡辺元智監督は2015年で指導から退き、
現在は2人の教え子である平田徹氏に継承している。

渡辺元智監督は史上3位タイ(2018年春時点)の春夏通算51勝22敗をマーク。

1970・1980・1990・2000年代と、4つの年代で全国を制したのは、
史上唯一、渡辺元智監督だけという大偉業です。

1924(大正3)年
春第1回選抜大会優勝 高松商(香川)
夏第10回選手権大会優勝 広島商(広島)
1973(昭和48)年
春第45回選抜大会優勝 横浜(神奈川)
夏第55回選手権大会優勝 広島商(広島)
1980(昭和55)年
春第52回選抜大会優勝 高知商(高知)
夏第62回選手権大会優勝 横浜(神奈川)
1998(平成10)年
春第70回選抜大会優勝 横浜(神奈川)
夏第80回選手権大会優勝 横浜(神奈川)
2006(平成18)年
春第78回選抜大会優勝 横浜(神奈川)
夏第88回選手権大会優勝 早稲田実(西東京)
2009(平成21)年
春第81回選抜大会優勝 清峰(長崎)
夏第91回選手権大会優勝 中京大中京(愛知)
2014(平成26)年
春第86回選抜大会優勝 龍谷大平安(京都)
夏第96回選手権大会優勝 大阪桐蔭(大阪)
2015(平成27)年
春第87回選抜大会優勝 敦賀気比(福井)
夏第97回選手権大会優勝 東海大相模(神奈川)

スポンサーリンク

タイトルとURLをコピーしました