甲子園優勝回数歴代1位大阪桐蔭を率いる西谷浩一監督

大阪桐蔭ナインフルスイングで勝ち得た甲子園の栄光

大阪桐蔭と言われると、中村剛也、西岡剛、中田翔、浅村栄斗ら、プロ野球の
世界でも打撃タイトルを手にする猛者たちを多数輩出し続けていくことも有名。

彼らは高校時代から「フルスイング」の重要さを叩き込まれ、
1球目から本気で振っていくということを西岡浩一監督から指導をされた選手たちです。

2008年夏第90回選手権大会では、浅村栄斗が中心であった強力打線が躍動し、
決勝史上最多の21安打、決勝史上最多タイの17得点を挙げて、
17対0の圧勝で2度目の全国制覇を達成を。

まさに、大阪桐蔭時代の幕開けを迎えることになった。
2012年には、藤波晋太郎と森友哉のバッテリーで史上7校目の春夏連覇を達成を。

2014年夏第96回選手権大会でも、優勝と着実に優勝回数を重ねていった。

大阪桐蔭のメンバーは、西岡監督が責任を持ってスカウト活動をして近畿圏中心に
ピックアップしている少数精鋭の選手たち。

その中でも、「100回記念大会に出場して史上初の2度目の春夏連覇を!」を、
目標に集結したというのが2年生となり、主力選手に交ざり始めた、
2017年春第89回選抜大会で、2度目の春制覇を果たすと、
1年後の2018年春第90回選抜大会で、史上3校目となる春連覇の偉業を達成。

エースの根尾昴は史上初めて、2年連続での優勝投手になった。

この第90回選抜大会での優勝を含め、大阪桐蔭の甲子園優勝回数は、
計7回(夏選手権大会4回、春選抜大会3回)を誇り、
西谷浩一監督体制でそれらの内優勝は6回も。

この数字は、PL学園(大阪)の中村順司元監督に肩を並べる史上1位。

西谷浩一監督の甲子園通算成績は、49勝9敗で勝率.845。
通算20勝を上まわる監督では、中村順司元監督の.853に次ぐ2位です。

2018年夏100回記念大会を5勝以上で優勝すれば、優勝回数にとどまらず、
勝率でも単独1位ということです。(2018年春大会前)

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86年間破られなかった8者連続奪三振の大記録

大正・昭和を股にかけ甲子園球場で輝いた大投手がいるのです。

美しい投球フォームから「芸術品」と謳われた和歌山中(現桐蔭/和歌山)の
豪腕サウスポー・小川正太郎選手。

そんな時「最強」の呼び声高かった、和歌山中で5年間(旧制中学は5年制)で
8度も甲子園球場に出場した小川正太郎投手。

その5度目の大舞台、1926年夏、大正最後の開催となった第12回大会準決勝では、
「信じられないくらい2階の高さから落ちてくるくらいの」と形容されていたカーブと快速球を
武器にして8者連続奪三振をマークします。

この記録は、2012年に桐光学園(神奈川)の松井裕樹投手が
「10者連続」で書き替えるまで、86年間も破られない大記録となった。

そういった小川正太郎投手擁する和歌山中がようやく頂点を掴んだ
1927(昭和2)年春、昭和の開催となった第4回選手権大会。

初戦から決勝まで全試合で2ケタ奪三振を記録した小川正太郎投手の力投で、
和歌山中が初めて春選抜王者の座を達成したのです。

この大会では、和歌山中に特別な副賞が贈られてます。
この選抜大会から企画された優勝校によるアメリカ遠征旅行です。

旅行期間が夏休み中なので、この遠征に出ると夏の大会に出られなくなって
しまうことになるのですが、その当時海外旅行は叶わぬ夢、という時代。

選手たちは何ひとつ迷いがなくアメリカ遠征を選び、海を渡ることとなりました。

春選抜の王者 vs 夏選手権王者 真の日本一決定戦

このアメリカ遠征には後日談があるのです。

和歌山中の「一軍」はアメリカへと旅立ったが、残っている「補欠組」で、
1927年夏の地区大会に出場いたします。

主力を欠きつつも、甲子園球場の切符を掴んでしまったわけです。
そうなるくらい、その当時の和歌山中の実力はずば抜けていたのです。

この年夏の甲子園を制したのは、四国の雄・高松商(香川)だったが、
限られた野球ファンから、
「和歌山中の主力組、特に小川正太郎投手が投げているとしたら、
 夏も優勝は和歌山中だったのでは?」という意見が上がってしまいます。

そういう訳で1927年11月6日、大阪の寝屋川球場を舞台に、
春選抜王者・和歌山中 vs 夏選手権王者・高松商という、
真の日本一決定戦が行うはめになりました。

注目度はかなり高く、超満員の観衆の元行われたこの世紀の一戦。

結果は、アメリカ遠征で練習不足であった小川正太郎投手が、
初回から攻略され、3回までに6失点。

夏の選手権王者・高松商が粘る和歌山中を振り切って、
7対4で真の日本一となりました。

甲子園球場に大パニック事件簿

決勝戦直後、深紅の大優勝旗とともに、優勝校が甲子園球場を
一周することは、甲子園大会のお決まり行事。

この姿に目をやると夏の終わりを実感する人も少なくないはず。
とはいえ、ドラマはそういうわけで終らない。

過去、決勝戦の後日に起こってしまった事件が挙げられます。

甲子園球場前代未聞の事件が起きたのは、1919年夏第5回大会。
このとき快進撃を披露したのが、初出場の神戸一中(現神戸/兵庫)。

全国でも指折りの進学校。その当時高等学校入学率(大学進学率)は、
全国1位を誇り、その名前の通り「文武両道」の模範となった。

その神戸一中は1回戦で、第1回大会から連続出場の和歌山中(現桐蔭/和歌山)
と対戦し、何と3対1で勝利する。

この大金星で勢いを掴むと、一気に決勝まで勝ち上がって、
初出場初優勝の達成できたのです。

そのようにして迎えた閉会式。
全部の行事が終了させ、通常でしたら甲子園球場を一周すべきところで、
神戸一中の主将・米田信明選手は、
「我々は見世物ではない、母校の名誉ゆえにがんばっただけ」と、
甲子園球場一周を辞退してしまうんです。

現代ではではどうあってもある訳がないという気概を持った神戸一中ナイン。
眉をひそめた大人もいたでしょうけれど、文武両道の栄冠を掴んだ
神戸一中には、それどころか各方面から賞賛が集まりました。

大人に向って自分自身の意見を理路整然と自己主張する。
神戸一中というようなチームは二度と出現しないことも考えられます。

甲子園球場の申し子の大優勝旗がポッキリ事件

家路につくまで遠足、と決めつけられるものではないものの、地元に凱旋後、
すぐさまハプニングを引き起こしてしまったのが、「甲子園の申し子」と
呼ばれて人気者でありました呉港中(広島)の藤村富美男投手です。

1934年の第20回大会で、全国制覇をやり遂げた呉港中ナイン。

地元広島に凱旋したところ、駅前には呉港中ナインを一目見ようといった
人、人、人の山で大混乱状態。

その中でもエース・藤村富美男選手の周りの混乱振りはもの凄かったのです。

そういった状態にもとらわれることなく、藤村富美男投手は、サービス精神から
深紅の大優勝旗を大観衆に見せようとしたところ、周辺に集まった
人に旗の柄の部分がぶつかってポキリと折れてしまったわけです。

これには一人残らず、顔が真っ青になってしまったのは言うまでもありません。
取る物も取り敢えず旗屋に折れた深紅の大優勝旗を持ち込んだ藤村富美男選手。

翌年、呉港中による深紅の大優勝旗返還の時には、
長い歴史をもつ優勝旗の柄ばかりが新しく変わっていたというわけです。

1919(大正8)年
夏第5回大会優勝 神戸一中(兵庫)

1926(大正15)年
春第3回選抜大会優勝 広陵中(広島)
夏第12回選手権大会優勝 静岡中(静岡)

1927(昭和2)年
春第4回選抜大会優勝 和歌山中(和歌山)
夏第13回選手権大会優勝 高松商(香川)

1934(昭和9)年
春第11回選抜大会優勝 東邦商(愛知)
夏第20回選手権大会優勝 呉港中(広島)

1991(平成3)年
春第63回選抜大会優勝 広陵(広島)
夏第73回選手権大会優勝 大阪桐蔭(大阪)

2002(平成14)年
春第74回選抜大会優勝 報徳学園(兵庫)
夏第84回選手権大会優勝 明徳義塾(高知)

2005(平成17)年
春第77回選抜大会優勝 愛工大名電(愛知)
夏第87回選手権大会優勝 駒大苫小牧(南北海道)

2008(平成20)年
春第80回選抜大会優勝 沖縄尚学(沖縄)
夏第90回選手権大会優勝 大阪桐蔭(大阪)

2012(平成24)年
春第84回選抜大会優勝 大阪桐蔭(大阪)
夏第94回選手権大会優勝 大阪桐蔭(大阪)

2014(平成26)年
春第86回選抜大会優勝 龍谷大平安(京都)
夏第96回選手権大会優勝 大阪桐蔭(大阪)

2017(平成29)年
春第89回選抜大会優勝 大阪桐蔭(大阪)
夏第99回選手権大会優勝 花咲徳栄(埼玉)

2018(平成30)年
春第90回選抜記念大会優勝 大阪桐蔭(大阪)
夏第100回選手権記念大会優勝 大阪桐蔭(大阪)

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