1923(大正12)年夏第9回中等学校野球大会 観客グラウンド乱入事件

1959(昭和34)年春愛知県代表・中京高、
2000(平成12)年夏和歌山県代表・智弁和歌山

「1970・1980・1990・2000年代から
 最新曲まで、あらゆる年代の曲が体感できる
 こんな感じのクラブないと思います。
 今なお山本リンダさんの『狙いうち』が
 出てきますし、親子3代で楽しめますよ!」とは、

阪神甲子園球場大好きな芸人、
アンジャッシュ・渡部建さんのことば。

阪神甲子園球場高校野球はあんまり興味もなくとも
応援はお気に入り、というようなファンも珍しくはないようです。

目下、全国的人気のある「アフリカン・シンフォニー」の他で
とりわけ知られた二大応援曲といえば、強豪校ブラバン名曲
天理高等学校(奈良)の「天理ファンファーレ」、
智弁和歌山(和歌山)の「ジョックロック」
ではないでしょうか。

甲子園球場高校野球応援文化の傾向を変化させた曲

「天理ファンファーレ」が新しく
甲子園球場で奏でられたのは、
1959(昭和34)年
春第31回甲子園高校野球センバツ大会から。

この曲は、大勢の人に良く知られていることに加えも、
甲子園高校野球応援文化に非常に大きい影響を及ぼした
エポックメイキングな曲です。

なぜかというと、早稲田大学応援曲「コンバットマーチ」の
モチーフとなったこと。

スポンサーリンク

1965(昭和40)年、
早稲田大学応援部の三木祐二郎氏が
「天理ファンファーレ」をヒントに
「コンバットマーチ」を作曲。

そうして、こちらに対抗するため、慶應義塾大学も翌年、
応援曲「ダッシュKEIO」を公開します。

これらの2曲は、1979(昭和54)に1枚のレコードとし発売し、
徐々に全国の高校も広く使われるようになったわけです。

また、早稲田、慶應とは別にして、明治大学ではOBの
阿久悠氏が作詞した山本リンだの「狙いうち」
ピンク・レディーの「サウスポー」を応援曲にして使います。

こっちもその知名度の高さからいち早く
甲子園高校野球応援にも広まり、間もなく、
「ルパン三世のテーマ」や、「タッチ」と、
人気アニメのテーマソングも次々に
応援に使用されるようになっていくというわけです。

全国制覇をあと押ししちゃった”魔曲”

それに対し、智弁和歌山(和歌山)の「ジョックロック」の
甲子園高校野球初登場は、2000(平成12)年、
夏第82回甲子園高校野球選手権大会から。

第82回大会の準々決勝、柳川(福岡)との試合は
延長11回の激闘の末、智弁和歌山(和歌山)が
逆転サヨナラ勝ち。

第82回選手権大会では、その他の試合についても
智弁和歌山打線は、打ちまくり
大会通算のチーム本塁打(11本)、チーム安打(100安打)、
塁打(157塁打)と、攻撃に関した多岐にわたる
大会記録を樹立しているのです。

まさしく智弁和歌山ブラバンの
「ジョックロック」での応援が、
3年ぶりの全国制覇のあと押しとなりました。

これから、
「ジョックロックの曲が流れると打線が炸裂する」
ということで”魔曲”の名が冠せられ、
智弁和歌山の代名詞的存在となったのです。

智弁和歌山(和歌山)
1994(平成6)年
春第66回甲子園高校野球センバツ優勝

1997(平成9)年
夏第79回甲子園高校野球選手権優勝

2000(平成12)年
夏第82回甲子園高校野球選手権優勝

2016(平成28)年
春第88回甲子園高校野球センバツ優勝

天理高等学校(奈良)
1986(昭和61)年
夏第68回甲子園高校野球選手権優勝

1990(平成2)年
夏第72回甲子園高校野球選手権優勝

1997(平成9)年
春第69回甲子園高校野球センバツ優勝

1924(大正13)年春第1回センバツ香川県代表・高松商

1923(大正12)年夏第9回選手権大会で起こった
「観客グラウンド乱入事件」で、断が下された
専用球場の建設。

その当時、阪神電鉄の専務だった三崎省三氏が製作指揮を実行し、
若き技術者、野田誠三氏が設計をやって、
新球場の工事が1924(大正13)年3月に実施します。

「誰一人見たこともない球場をつくれ」

スタンフォード大学で電気工学を専攻してた、
三崎誠三氏でしたが、米国人には勉学で対抗できたとしても、
ベースボールやフットボールではぜんぜん歯が立ちません。

「東洋人は西洋人と比較して体力や
 運動能力が劣ってる。さまざまな施設をつくって
 我々日本人の体力向上を図らねば」

このような決意の元、設計担当の野田誠三氏へ送った指令とは、
「誰一人見たこともない球場をつくれ」
「ヤンキースタジアムが世界一なら、
 君は東洋一のものを作るんだ!」といった
尋常でないものとなりました。

アメリカ風のスタジアムが5万人収容可能である
大きさがほとんどであったこともあって、
それを超えた「収容人数は6万人」といった
超巨大スタジアムの建設が決まりました。

誰一人見たこともない球場をつくれ・・・そういった指示も
まったくのムチャ振りではありますが、
より以上に至難の業だったというのが着工期間であった。

建設開始は1924年3月。
夏の大会までは5ヶ月間しか取れないで、
最初はどこの建設業者も
「梅雨もあるから、
 このような短い工期では責任がもてない」と
躊躇したいと思います。

そのような中で、情熱をもっても手を挙げたのが大林組だった。
ブルドーザもショベルカーも存在しなかった時代です。

牛3頭にローラーを牽かせ、ほとんど昼夜兼行で進められた
工事は、幸運に天候にも恵まれ、実質的にはわずか4ヵ月半で
やり遂げてしまうことになるのです。

竣工した1924年は、「甲乙丙・・・」で始まる”十于”と、
「子丑寅・・・」で始まる”十二支”、それぞれの1番先の
「甲」と「子」が60年ぶりに出合う年。

こういった縁起の良さにちなみまして「甲子園球場」と
名付けられたのです。

6万人のスタンドで「和製ベーブ」がホームラン

このようにして歴史が幕開けした「甲子園球場」。
最初の頃、
「6万人のスタンドが文句なしに埋まるためには
 10年かかるかも知れない?」と、
案じる声が大半だったが、大会4日目、
その当時「東西の横綱」と呼ばれていた、地元の
第一新港商と、東京の早稲田実業が激突する
好カードで、いち早く満員のスタンドが現実のものにします。

この試合には「和製ベーブ」と言われた、
新港商の山下実がホームランを打つなど、
一堂に会した中等学校野球ファンをかなり沸かせています。

1915(大正4)年夏第1回選手権京都代表・京都二中

1917(大正6)年夏第3回選手権愛知代表・愛知一中
1924(大正13)年春第1回センバツ香川代表・高松商

「甲子園球場大会」の呼び方でみんなに好かれている
高校野球球児たちの憧れの舞台。

けれども、甲子園球場が開場できたのは、
1924(大正13)年8月の夏第10回選手権大会から。

そこに至るまで、別の球場で行われていたんです。
草分けの舞台は、大阪府豊能郡豊中村(現・豊中市)の
豊中グラウンドになります。

豊中の地で大会が産声を挙げたところから、
「ゆりかごの豊中」とも呼ばれていたんです。

ほんとうは豊中は400メートルのトラックがある
運動場で、外野やフェンスも観客席も何一つない
環境の中でした。

外野にはホームから100メートルの場所に
ロープを張って対応を行なっています。

専用球場建設をあと押しした
「観客グラウンド乱入事件」

1916(大正5)年夏第2回中等学校選手権大会も
豊中グラウンドでの開催でありましたが、
間に合わせの観客席では日増しにどんどん増える観客の数に
対応しきれ無くなってしまいました。

1917(大正6)年夏第3回中等学校選手権大会から
舞台を兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)にあった
鳴尾球場(鳴尾運動場)へと引っ越しします。

以前にも増して盛り上がりを見せつける大会は、
「伸びゆく鳴尾」と言われています。

しかし、こちらの球場も観客席は5000人収容がようやくの
仮設のスタンドであった。

しばらくして、高まりし続ける中等学校野球の
人気に対応しきれなくなってしまうワケです。

その象徴的なある出来事が、
1923(大正12)年夏第9回大会で起こった、
「観客グラウンド乱入事件」です。

朝日新聞社発行の
『全国高等学校野球選手権大会史』(19858年刊)
にはこんな中身の記載があります。

《鳴尾運動場ではどうしようもできないという
 事態が起こってしまった。(中略)
 押し合いへし合いをしながらも何とか秩序を
 保っていた大観衆は、試合見たさの一念にかられ
 いよいよ一塁、右翼側の一部がどっと場内に
 流れ込み試合の続行が出来なくなったのです》

このようなトラブルもあって、1924(大正13)年、
ようやく専用球場の建設が決定しました。

センバツ誕生は名古屋から

一方、春のセンバツ大会は、1924(大正13)年、
4月1日、愛知県名古屋市の郊外に存在した
「山本球場」で第1回センバツ大会の幕が開きました。

その当時の収容人員は約2000人。
とてもじゃないが外野が狭く、
それでいてレフト方向が狭かったため、
第1回センバツ大会では、
8試合で12本も本塁打が生まれました。

中京地区の野球新興の目的もあり、
開催地に名古屋市が選ばれ、2回目からは各地を
巡回する案も出てきた春のセンバツ大会。

ところが、同年夏に甲子園球場が開場したことから、
翌年の第2回センバツ大会は、甲子園球場で開催。

以降は、全国の舞台は甲子園球場、
となって根をおろしたのです。

スポンサーリンク

タイトルとURLをコピーしました