甲子園球場佐賀商史上初の決勝満塁ホームラン

佐賀商ノーマークから粘り勝ちで決勝に

甲子園球場誕生以上に古い1921年創部の佐賀商は、
佐賀県勢ラストの夏選手権大会出場11回目の名門校。

いつまでも、全国の舞台からは力を出しきれず、この大会よりも前に
甲子園球場を沸かせたのは、1982年夏選手権大会
エース・新谷博が9回2死、夏の選手権大会史上初の
完全試合に「あと1人」まで近づいた時。

ただ、この絶対的エースを擁した年でも3回戦止まり。
1994年夏第76回選手権大会でも大会前はノーマーク。

2年生エース・峯謙介を中心として粘り勝っての決勝進出でした。

迎えた決勝戦。先制したのは樟南。
2回に3点のリードを奪うが、佐賀商はこの試合でも
売りの粘りを生かし、6回に3点を返して同点にしていきます。

その直後にまた1点のリードを許しますが、
8回に再び追いつき、4対4で最終回の攻防へと突入した。

決勝戦満塁ホームランと佐賀商の奇跡

9回表、佐賀商は2本のヒットで1死一・三塁とチャンスとなるも
スクイズを失敗。しかしながら、捕手の送球が三塁勝者の峯謙介選手に
命中して難を逃れるのです。

だったとしても、峯謙介投手にしてみると、臨時コーチの香田誉士史に
教えられた、予想していた走塁術でもあったそうです。

これによりスクイズを放棄した佐賀商は、2死満塁として打席には
2番キャプテンの西原正勝選手。

「スローモーションに見えた」とゾーンに入っていた西原正勝選手が
初球を振り抜くと、打球はレフトスタンドへ。

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劇的満塁ホームランで8対4と勝ち越して樟南に打ち勝ち、
佐賀県勢初めて深紅の大優勝旗をもたらしたというわけです。

「奇跡のホームラン」と呼ばれたこの一発は、
甲子園球場決勝の大舞台で誕生した大会史上初の満塁ホームラン。

この後、決勝戦で満塁アーチが生まれるのは、同じ佐賀県勢の
佐賀北が「がばい旋風」を生じさせる13年後、2007年の夏まで
待たなければいけないのです。

そのどちらも、劇的満塁ホームランが決勝点というものです。
また、エース・峯謙介はこの酷暑の大会6試合をすべて完投で計708球。

峯謙介投手以降、たった一人で夏の選手権大会の栄光に輝いた投手は存在しません。

明徳義塾・馬淵史郎監督負けない野球

かつての、四国四商(香川・高松商、愛媛・松山商、徳島・徳島商、高知・高知商)が
それぞれの甲子園高校野球で優勝を果たし、しのぎを削ってレベルを高めてきた
四国の高校野球。

その後、1980年代には池田高校(徳島)時代が幕開け。
その池田高校の代わりに1990年代以降、安定的に好成績を発揮しているのが
明徳義塾(高知)です。

この明徳義塾を全国屈指の強豪校に育て上げたのが、馬淵史郎監督です。
高校野球界ピカ一の”ヒール”役が似合う指導者です。

5打席連続敬遠、出場辞退監督就任は1990年

その2年後、1992年夏選手権大会で世間の人を騒がせたということが、
星稜(石川)、松井秀喜への「5打席連続敬遠」。

相手4番打者と勝負はやらないで、試合で勝利した馬淵史郎監督采配に関して、
勝負師として理解する声がありながらも、あらかたの声は批判とバッシング。

これが響いたのでしょう、松井秀喜騒動以来、明徳義塾は丸3年も甲子園球場から
遠ざかることを経験する。

そしてこの松井秀喜騒動と同じくらいかそれ以上に針のムシロになったのが
2005年夏第87回選手権大会の開幕2前に起きた電撃出場辞退。

戦後最多(当時)8年連続出場といった金字塔を打ち立てたことは間違いありませんが、
対戦相手が決められた後に、野球部員のスキャンダルが判明する。

夏の選手権大会では史上4度目、戦後だと初の「出場決定後の出場辞退」は
大きく取りざたされ、馬淵史郎監督は責任を感じ監督を一度辞任。

高野連から1年間の謹慎処分を与えられます。

明徳義塾初戦負けなしを20大会続ける

このような騒動で批判の的になることの多い馬渕史郎監督ではありますが、
その一方、高校野球界きっての名将であるのは春夏合わせて32回。

それどころか、ただの出るだけとは違います。
毎年のみたいに手を抜くことなく勝利を重ねていることこそが肝。

春はベスト8以上が6回、夏はベスト8以上が5回という確実性を誇っている。

しかも、注目すべきということが、甲子園球場初戦での圧倒的勝率で、
20大会連続初戦勝利という考えられないくらいの記録を誇っている。

「松井秀喜5打席連続敬遠」の星稜戦に限らず、接戦になればなっただけ
勝負強さを発揮させる「負けない野球」が代名詞です。

2002年夏第84回選手権大会では、
決勝で智弁和歌山(和歌山)・高嶋仁監督との名将対決を制し、
悲願の全国制覇も果たしているわけです。

1018年はる選抜大会での勝利で、甲子園通算成績は50勝に到達します。
歴代5位、現役監督では3位にランクインする。

稀代の勝負師の前向きな気持ちはまだとどまることを知らない。

戦後のスター小倉中福嶋一雄投手

甲子園戦後最初の大スターは、1947年夏、翌1948年夏の大会で
連覇を果たした、小倉中・小倉高(福岡)の福嶋一雄投手。

柳と変わらない身体をくねらせて投げる他にはない下手投げは相手打線を
翻弄し、甲子園球場でたくさんの伝説を生んだといえるのです。

1946年夏の選手権大会は、西宮球場で開催された戦後最初の
大会では、ベンチ入りはしたけれど、登板の機会の見られなかった福嶋一雄投手。

全国の舞台での初登板は、翌1947年春選抜大会、6年ぶりに甲子園球場で
復活した選手権大会のマウンドでした。

この選手権大会で、初戦から準決勝まですべて1点差で勝利を収めると、
決勝では徳島商(徳島)相手に9回までヒット1本しか許さない好投。

1対1で延長戦へと突入すると、小倉中は10回に無死満塁、11回に無死二塁
というようなチャンスを生かすることがなく、無得点。

一方、マウンドを守り続けた福嶋一雄投手は、
延長13回表、ついに力尽き、1対3で敗退。準優勝に終ります。

だけど、この負けを糧にますます制球力を磨いて挑戦した同年夏第29回選手権大会
では文句なしに優勝を達成することになります。

深紅の大優勝旗は、初めての経験で関門海峡を越えて九州・小倉に渡りました。

甲子園高校野球史上2人目の5試合連続完封

6・3・3制の学制改革に応じて、中等学校から新制高校で勝負を挑んだ
1948年春の選抜大会。

小倉高校のエースとして甲子園高校野球に帰還した福嶋一雄投手でありましたが、
初戦でこの大会で優勝する、京都一商(現西京/京都)と延長13回
2対3で惜敗。夏春連覇はならずだった。

春は分かってはいるけど勝ち切れない福嶋一雄投手だとしても、夏は揺るぎなかった。
それだけの集大成と言うこともできるのが同年夏第30回選手権大会における快投。

初戦と2回戦がどれも2安打完封。
準々決勝と準決勝がいずれも4安打完封。

それから、決勝戦・和歌山中から校名が変わった古豪・桐蔭(和歌山)
対戦者にまたも4安打完封勝利。

嶋精一(海草中/和歌山)以来となる史上2人目の5試合連続完封という
偉業と同時に、戦後初となる夏連覇を果たします。

この年の福嶋一雄投手の快投ぶりはものすごく、選手権大会以降、
地方大会、国体も合わせると、公式戦12試合連続完封。

111イニング連続無失点というとんでもない数字をマークします。

ところが、その後の福嶋一雄投手は右ひじ痛の影響もあり、
翌1949年春選抜大会がベスト4。

同年夏の選手権大会はベスト8で敗退。

中京商(現中京大中京/愛知)以来となる夏3連覇には到達しなかった。

甲子園高校野球100回記念大会は次の100年の課題に向う起点

春選抜大会が90回記念。夏選手権大会が100回記念という節目を迎えた2018年。

甲子園高校野球では2つの改革が実行されました。
「タイブレーク制導入」と「外野席有料化」。

国際大会では浸透し始めていたタイブレーク制。

決着がつきやすくするために走者を置いて攻撃を始める制度。
高校野球では、延長13回以降は無死一・二塁で攻撃が始まる。

投手の負担軽減のために話し合われてきたのですが、
「試合日程の過密化や開催時期を見直す方が先」
「延長戦のドラマが消え去ってしまう」と賛否が分かれていたのです。

それが大きく舵を切ったというのは、2017年春第89回選抜大会7日目で
起きた2つの試合の影響が大きい。

第2試合の滋賀学園 vs 福岡大大濠。
そして、第3試合の健大高崎 vs 福井工大福井がどちらとも延長15回で
決着がつかず、2試合連続で引き分け再試合となります。

2試合連続だけじゃなく、1大会で2度の引き分け再試合も
甲子園高校野球史上初です。

このめったにないことによって、改めて選手の体調管理がそじょうに乗り、
結局のところ翌2018年春第90回選抜大会から、決勝戦以外の
「タイブレーク制」導入の断が下されたこととなります。

甲子園高校野球入場料値上げ分を高校野球200年構想の事業に

もう1つの変更点が、これまで無料解放されてきた外野席を、
大人500円、子供100円と有料化行うこと。

他の席も揃って値上がりに決まって、収益増分は野球振興を目的にする
「高校野球200年構想」の事業費用に割りあてることが決定されています。

「高校野球200年構想」とは、高野連、朝日新聞社、毎日新聞社の
3者が高校野球”次の100年”に向かって議論を積み重ねてきた新しい指針。

5大目標として「普及」「振興」「けが予防」「育成」「基盤作り」を
掲げ、このような目標達成に向けて、幼児向けの野球教室、けが予防講習会、
24事業の具現化を公にしています。

甲子園球場は年を増すごとに、チケット入手も大変になる人気イベントだが、
少子化と野球人気の深刻化での「競技人口減少」といった大きな課題も
ある一方でも、何度も起きる体罰を解決するべきテーマも多岐にわたる。

次の100年をどう歩むのであろうか? 指導者、大会関係者、しかもファン
1人1人が問題意識を抱いて、議論を重ねていくことが必要です。

未来の野球球児たちが元気よくプレーすることができる環境は、
今を生きる私たちが作り上げていくことが重要だと思います。

1921(大正10)年
夏第7回選手権大会優勝 和歌山中(和歌山)

1946(昭和21)年
春選抜大会 第2次大戦のため中止
夏第28回選手権大会優勝 浪華商(大阪)

1947(昭和22)年
春第19回選抜大会優勝 徳島商(徳島)
夏第29回選手権大会優勝 小倉中(福岡)

1948(昭和23)年
春第20回選抜大会優勝 京都一商(京都)
夏第30回選手権大会優勝 小倉(福岡)

1949(昭和24)年
春第21回選抜大会優勝 北野(大阪)
夏第31回選手権大会優秀 湘南(神奈川)

1982(昭和57)年
春第54回選抜大会優勝 PL学園(大阪)
夏第64回選手権大会優勝 池田(徳島)

1994(平成6)年
春第66回選抜大会優勝 智弁和歌山(和歌山)
夏第76回選手権大会優勝 佐賀商(佐賀)

2002(平成14)年
春第74回選抜大会優勝 報徳学園(兵庫)
夏第84回選手権大会優勝 明徳義塾(高知)

2005(平成17)年
春第77回選抜大会優勝 愛工大名電(愛知)
夏第87回選手権大会優勝 駒大苫小牧(南北海道)

2007(平成19)年
春第79回選抜大会優勝 常葉学園菊川(静岡)
夏第89回選手権大会優勝 佐賀北(佐賀)

2017(平成29)年
春第89回選抜大会優勝 大阪桐蔭(大阪)
夏第99回選手権大会優勝 花咲徳栄(埼玉)

2018(平成30)年
春第90回選抜大会優勝 大阪桐蔭(大阪)
夏第100回選手権大会優勝 大阪桐蔭(大阪)

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