静岡県代表・静岡商 第50回選手権大会 エース・新浦寿夫

●静岡県勢甲子園高校野球戦績上位校
・優勝
静岡中 第12回選手権大会
・準優勝
島田商 第26回選手権大会
静岡商 第36回、第50回選手権大会
・静岡県勢甲子園高校野球出場回数上位校
静岡24回、静岡商9回、浜松商9回
・静岡県勢甲子園高校野球初出場校
静岡中 第10回選手権大会
・静岡県勢甲子園高校野球初勝利校
静岡中 第11回選手権大会

第50回選手権大会で準優勝した静岡商のエース・新浦寿夫は、
決勝までの6試合でどれにしても2点を献上することはまったくありませんでした。

ヒーロー 新浦寿夫

「あのときお前が、セカンドに投げていたのならなぁ」。

今なお、1968年夏選手権大会に準優勝したメンバーと杯を交わすと、
興国(大阪)との決勝戦。

0対0の5回の守り、1死一塁からのピッチャーゴロを処理した、
新浦寿夫は、残念なことに一塁へ送球する。

そうして、2死二塁からの安打が重たい1点をもたらし、0対1で勝てません。

もしも、二塁に投げて併殺だったら、試合の結果はどうなっていたか。

「併殺といった常識すらも理解していなかったんです」とは、後の新浦寿夫氏です。
静岡商に入ったが、甲子園高校野球といった存在ですら満足に分かっていなかった。

スポンサーリンク

投げろと言われれば投げ、走れと言われれば走っていました。
卓越した天性には、そんなことだけで十分だったということでしょう。

定時制から編入学した”1年生”は、伊香との初戦を2安打15三振で完封する。
名門を決勝まで牽引します。

この夏第53回選手権大会を投げて失点たった3。
大会終了した後2週間の急転直下で、巨人球団に入れられます。

第12回選手権大会に勝った静岡中(静岡)は、朝日新聞大阪本社を訪れ、
屋上で大優勝旗とともに制服姿で記念写真に納まる。

第55回選手権大会の準決勝で、今治西と対戦した静岡商は、
7回表に水野彰夫の二塁打で永野修司、植松精一が連続して生還。

以前までは公立校の天下だったのです。
静岡中(静岡)、韮山、静岡商、浜松商と、春夏を通じ公立4校に
優勝経験をするのは、他に兵庫県、徳島県、愛媛県ぐらいのものです。

とりあえずは静岡中の時代。

1932年まで、静岡から春夏14回の全出場を占める。
1926年夏第12回選手権大会は、後に慶應大監督となるエース・上野清三を
擁し前橋中との延長19回を制するなどによって初の全国優勝。

島田商は、1939、1940年と4季連続出場し、一言多十(ひとことたじゅう)を
エースに、1940年夏選手権大会に準優勝、戦前はこれに静岡商と
掛川中(掛川西)を入れた公立校が出場する。

戦後も、1945年夏選手権大会の東海大一まで、私立の出場はないです。

静岡、静岡商の2強時代。
静岡商は、1952年に選抜大会優勝、1954年、1960年、1973年の
夏選手権大会に準優勝。

静岡も1960年、1973年の夏選手権大会に準優勝。
惜しかったのが、1973年の夏選手権大会です。

作新学院のエース・江川卓投手を倒した、銚子商(千葉)を
準々決勝で破りつつも、決勝で広島商に敗北したのはサヨナラスクイズ。

投の江川卓と並び称された植松精一が中心の打線は、
4試合で28得点を挙げる。

木製バット時代では、飛び抜けた攻撃力でした。
それ以降は、浜松商が力を付け、私学も台頭する。

戦力が分散したが、Jリーグの影響なのだろうか?
1970年から2007年まで夏の選手権大会は連続出場が一例もありません。

2007年に攻撃野球で、春選抜大会で頂点に立った常葉菊川(常葉大菊川)が、
2007年、2008年と久々に連続出場し、2008年は準優勝しています。

近年は静岡商に低迷しているかと思えば、2010年代となって静岡が勢いを
立て直しているわけです。

全国的にも県立普通校の雄となって、なお一層活躍が期待される。

第12回選手権大会で、
優勝の原動力になった静岡中エース・上野清三、中堅手・戸崎舜弘。

第26回選手権大会決勝で海草中と対戦した島田商の主将でエース・一言多十

第56回選手権大会準々決勝で、前橋工の向田佳元と投げ合う静岡商・高橋三千丈
2安打しか許さなかったが、0対1と惜敗。

第57回選手権大会、金属性バットで史上初の逆転サヨナラ本塁打を放ったのは、
浜松商・高林基久選手。

第87甲斐選手権大会。創部60年目で春夏通じて初の甲子園高校野球出場を果たす
静清工は見事に、初戦を乗り越える。

第90回選手権大会で、常葉菊川の左腕・戸狩聡希は左ひじを痛めながら、
決勝のマウンドへ。
一度は降板するも、最終回は再びマウンドへ向う。

夢へあと1勝 浜名

2003年、学校創立90周年の節目に、春選抜大会に出場します。

1949年創部の野球部は、1953年には山静大会の決勝に歩を進めますが、
静岡県予選決勝けれども敗れている静岡商に2対4。

春選抜大会に出場した2003年は静岡に0対4。
2006年静岡商に0対2。
2009年常葉橘(常葉大橘)に0対10。

夏選手権大会につきましては、4回どれこもこれも、決勝で敗れているのです。

2006年は、準決勝まで45得点と大爆発した打線で、甲子園高校野球でも
引っ張りだこになった静岡商の左腕・大野健介に抑えられたのが気の毒。

学校は浜松市浜北区に位置し、社会人野球・ヤマハのお膝元。

2003年春選抜大会時の主将・小粥勇輝選手は小・中学生時代に、
ヤマハOBの主催する野球教室に参加して、新天地もヤマハに。

2003年当時のチームには、中学時代の同級生が3人居ました。

このような地元色濃厚なチームだけあって、甲子園高校野球に出場したなら、
大きな拍手に見舞われることが考えられます。

チーム・静岡高校

静岡市葵区にある県立共学学校。
1878年、静岡師範学校中等科として開校された。

戦前は静岡中学。
戦後は静岡第一、静岡城内の時代があり、それぞれの校名でも
甲子園高校野球に出場している。

1949年から今の校名に。
天皇が行幸したこともある名門で、県内有数の進学校。

1896年創部の野球部は、1924年に夏の第12回選手権大会の初出場を果たすと、
1926年夏選手権大会に優勝を遂げる。

初戦、早稲田実(東京)に勝つと2戦目、前橋中(群馬)とは延長19回の激闘。

決勝は満州の大連商・決勝点はスクイズだった。
1930年には校庭で行われた静岡商との試合が天覧試合に。

1973年の夏選手権大会は、江川卓(元巨人)の作新学院(栃木)を倒した
銚子商(千葉)に勝ち決勝に進出。

広島商との古豪対決になったが、広島商にスリーバントスクイズを決められて
サヨナラ負け。優勝旗を逃した。

夏選手権大会24回出場し、22勝23敗。
春選抜大会は17回出場し、11勝17敗。
春夏合わせて33勝は全国36位タイで、春夏甲子園高校野球出場回数は、
静岡県内でトップ。

主なOBは、小田義人(元近鉄)、赤堀元之(元近鉄)、増井浩俊(オリックス)

チーム・静岡商業高校

静岡市葵区にある県立共学校。1899年、市立静岡商業として開校。

1933年に駿府商を合併し、1948年に今の県立静岡商業高等学校に改称。

静岡高校と伝統的にライバル関係にあり、静岡の「岳南健児」に対し、
「白龍健児」といわれる。野球部の創部は1928年。

1934年、春選抜大会に初出場し、躍進したのは次に出た1952年の春選抜大会。

後に国鉄スワローズで活躍する田所善治郎が、決勝まで全4試合をすべて完封。

決勝は、春選抜大会で連覇を狙った鳴門(徳島)を下す。
1954年の夏選手権大会は準優勝。

1968年夏第50回選手権大会では、1年生エース・新浦燾夫(元ヤクルト)が快投。

決勝では興国(大阪)に挑むが、惜しくも0対1で敗れた。
新浦燾夫投手はすぐに巨人に入団し、残った藤波行雄(元中日)らで
翌年夏選手権大会もベスト8.

1975年の春選抜大会でも大石大二郎(元近鉄)、久保寺雄二(元南海)らで
8強に進出する。

2006年の夏選手権大会が最後の全国の大舞台。
このところ「しずこう」の後塵を拝している。

滝安治(元巨人)、池谷公二郎(元広島)、高橋三千丈(元中日)がOB。

夏選手権大会9回17勝9敗。
春選抜大会6回6勝5敗。
合計23勝は57位タイ。夏選手権大会は初戦負けが一度もない。

静岡県

本州を南北に縦断するフォッサマグナが県中央部を走る、
文字通り日本の真ん中。

東海道五十三次時代から、東名高速、新幹線の現代まで、
東京と関西の経済圏、文化圏を結ぶ役目を果たしています。

日本有数の温泉地をもつ伊豆県都・静岡市を中心とした駿河、
遠州などに挑み、浜名湖を抱く遠江の三地域に分かれる。

廃藩置県で、駿河は静岡県、遠江は浜松県、堀江県、伊豆と
富士山麓は足柄県になります。

1876(明治9)年、神奈川県に編入された足柄県の一部を除いて統合、
1878年伊豆七島を東京に移管して、現在の静岡県が成立する。

静岡県章は、富士山と県の形を図案化したもの。

静岡県名の由来は、静岡市北部の丘陵・賤機山(しずはたやま)にちなむ。

スポンサーリンク

タイトルとURLをコピーしました