第98回全国高校野球選手権大会 優勝栃木県勢代表・作新学院 準優勝北海(南北海道)

●栃木県勢甲子園高校野球戦績上位校
・優勝
作新学院 第44回、第98回選手権大会
・準優勝
宇都宮工 第41回選手権大会
・ベスト4
宇都宮工 第32回選手権大会
作新学院 第40回、第93回選手権大会
・栃木県勢甲子園高校野球出場回数上位校
作新学院13回、文星芸大付10回
・栃木県勢甲子園高校野球初出場校
宇都宮商 第9回選手権大会
・栃木県勢甲子園高校野球初勝利
宇都宮中 第10回選手権大会

第98回選手権大会。優勝を夢に見る北海を倒して、
春夏連覇した第44回選手権大会以来、54年ぶり2度目の
栄光に輝いた作新学院ナインの喚起のその瞬間。
エース・今井達也は失点1で完投し、勝利に貢献していきます。

栃木県の高校野球を引っ張っているのは、まぎれもなく、
第99回選手権大会まで7年連続出場の作新学院ではないでしょうか。

1885(明治18)年に創立した作新学院(当時・下野英学校)の
野球部は、1902(明治35)年に創部されるのです。

110年を越えた歴史で評価の高い名門は、選手権大会には
第10回選手権大会から60年が過ぎた1962年、夏の選手権大会は
赤痢が発症したエース・八木沢荘六を欠きながらも、
史上初の春夏連覇を果たします。

第55回選手権大会では、怪物・江川卓投手を擁して甲子園球場を沸かす。

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それから後に、1980年代、1990年代と停滞が尽きることがありませんが、
青年監督・小針崇宏氏が時を執るようになれば、
名門は申し分なく息を吹き返し、栃木県のみならず、
全国制覇まで勢いよく駆け上がって行く。

小針崇宏氏は、2001年まで作新学院でプレーし、筑波大学に進学。
体育科教諭となって母校に戻り、23歳で監督に就任。

高校時代は主将として働いて、在学当時から「監督候補」となって初出場、
2年後の2011年夏選手権大会は自らが二塁手で出場した
2000年春選抜大会以来の甲子園球場白星を挙げ、チームは準優勝まで駒を進めます。

以降は、連続出場を続け、2016年は、スリム体型でしなやかなフォームの
エース・今井達也(西武)を主体として、ほぼ郷里の選手で構成した
チームが、頑固な守備で無用な失点を防ぎ、54年ぶりの甲子園高校野球
制覇を成し遂げます。

若き名将・小針崇宏監督は、とっくに正真正銘の「全国レベル」であるので、
より一層の勝利の高みを期待させると思います。

第55回選手権大会。春選抜大会で60個の奪三振記録を作り、
全国の球児の目標になっていた江川卓投手、
怪物ぶりは夏選手権大会も健在でした。

第55回選手権大会。投手戦を迎えることになった銚子商戦。
作新学院は江川卓(背番号1)を中心として最後はひとつにである。

第79回選手権大会。肝っ玉のすわった投球でチームを初のベスト8進出に
旗振りをした佐野日大の亘伸哉投手。

ヒーロー 亘伸哉

作新学院が甲子園高校野球から離れていた時代。

栃木県の高校野球界をリードしていたというのは、佐野日大です。

作新学院が春夏連覇して以来、35年ぶりに栃木県勢として、
8強に前進した、1997年の第79回選手権大会、
佐野日大の心臓部に居たのが、エースで4番の亘伸哉選手でありましたが、
右肩痛を抱えながらの登板であった。

治療やアイシングを積み重ね、夏の選手権大会より先にマウンドに復帰します。

185センチの長身から投げ下ろす直球は打者の手元で伸び、
カーブ、スライダー、フォークボールを織り交ぜながらの投球で、打者を手玉に取る。

2回戦の宮崎日大、3回戦の大分商に完投勝利。

準々決勝はこの大会に勝利した智弁和歌山に後半の追い上げ実らず、
4対6で勝つことができませんが、最後の打者が亘伸哉投手だったのも印象深い。

大会で3打点を挙げていた亘伸哉選手は、フルカウントの8球目を
強く振り抜いたのですが、空振り三振。

試合終了を伝えるサイレンが鳴り止んでも、健闘を讃える拍手は
鳴り止むことはありませんでした。

第98回選手権大会。尽誠学園を最速151キロ、13奪三振で完封してしまう、
作新学院・今井達也投手。

第69回選手権大会で鹿児島商工戦で延長10回を一人で投げ抜いた
足利工の2年生・石井忠徳投手。

第96回選手権栃木大会、大田原は準決勝に進み出るも、
作新学院に甲子園高校野球への道を阻止される。
その当時の投手は、田村優風。

夢へあと1勝 大田原

1986年の栃木大会は、大田原が甲子園出場まであと1勝に迫っていたんです。

その時から遡ること64年前の1922(大正11)年、第8回選手権大会進出をかけた
関東大会に初参加すると、準決勝では、銚子商を8対7で下して文句なしに
決勝へ進出します。

決勝では、8回に4点を挙げ、8対8の同点に追いつくけれども、
9回茨城県勢の竜ヶ崎中(竜ヶ崎一)にサヨナラ負けを喫します。

1986年は、優勝候補にも挙げられ、準決勝では27年ぶりの代表校の座を志す
宇都宮工との対戦ですが、大田原のエース・人見勝則は、延長11回、
この試合始めての四球を招いて、盗塁を許すと、153球目のストレートは、
右前打になって再びのサヨナラ負け。

あれ以来32年、その期間中準優勝を2回、ベスト8が4回、県北の進学校に、
手が届きそうで手が届かない、もどかしさが続いているのです。

栃木県勢ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・宇都宮中 第10回選手権大会
・栃木中 第19回選手権大会
・宇都宮工 第32回選手権大会ベスト4 神田昌男
・宇都宮工 第35回選手権大会
・作新学院 第40回選手権大会ベスト4 古口典夫
・宇都宮工 第41回選手権大会優勝 八木沢荘六、加藤斌
・鹿沼農高 第49回選手権大会 五月女豊
・作新学院 第55回選手権大会 江川卓
・足利学園 第57回選手権大会 藤倉一雅
・宇都宮学園 第59回選手権大会 見形仁一
・足利工 第69回選手権大会 石井忠徳
・宇都宮学園 第70回選手権大会 真中満、高嶋徹
・佐野日大 第71回選手権大会 麦倉洋一
・佐野日大 第79回選手権大会 亘伸哉
・作新学院 第93回選手権大会ベスト4 山下勇斗
・作新学院 第94回選手権大会
・作新学院 第98回選手権大会優勝 今井達也、入江大生

栃木県

県の東、西、北に連なる八溝、足尾、日光、那須の
山々に囲まれた関東平野が広がる。

面積は関東地方では最大、北部の火山山地一体は雄大な
自然と温泉に恵まれ、多くの観光客を引き付けている。

かつては農業県であったが、東北縦貫自動車道開通などにより、
県内各地にたくさんの工業団地が作られる。

廃藩置県後、栃木、宇都宮2県設置、1873(明治6)に
宇都宮県を栃木県に併合。

1876年に上野国3郡を熊谷県に移管、現在の姿に。

栃木県章は、「栃」の文字を抽象化。
エネルギッシュな向上性と躍動感を表す。

3本の矢印は「木」の古代文字。

栃木県名の由来は、「栃」はトチの木のことですが、
この字は古書にはなく、明治期の造語という。

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