東北山形県勢の高校野球に欠かせない日大山形

●東北山形県勢夏甲子園高校野球戦績上位校
・ベスト4
日大山形 第95回選手権大会
・山形県勢甲子園夏選手権大会出場回数上位校
日大山形17回、酒田南10回、東海大山形6回、山形東5回、山形南5回、鶴岡東5回
・山形県勢夏甲子園初出場
山形中 第22回選手権大会
・山形県勢夏甲子園初勝利
日大山形 第55回選手権大会

第95回選手権大会。日大山形は山形県勢の初4強に。

準決勝で優勝した前橋育英に破れるが、「全員野球」は立派でした。

第92回選手権大会。帽子を飛ばし力投する山形中央の2年生エース・横山雄哉。

山形の高校野球からなくてはならない、日大山形

1973年、山形県勢では、初の経験で春の選抜大会に出場しますと、春夏通じて初勝利。

同じ年1973年夏に、これまで山形県勢が13連敗していた
夏の甲子園選手権大会初勝利も挙げる。

1979年夏には初の1大会2勝を挙げ、選抜大会のベスト8は
東海大山形、ベスト4は羽黒が達成したが、夏の選手権大会
2006年の日大山形が初、2013年夏のベスト4も初。

それらの内1973年の春夏の初勝利を指揮したが、日大山形OBの渋谷良弥監督です。

「私は”甲子園球場”に出たとしても実際のプレーは
西宮でした。監督となったのは、1972年。
今までは考えにくいけれど、連日救急車が来るくらい
過酷な練習を行って、練習試合ではわざと勝てそうなチームと
演出して自信を付けさせた」結果が、1973年の春の選抜にての勝利。

1985~1987年は力を付けてきたライバル。

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東海大山形に夏の選手権大会代表をゆずるが、山形の野球では
非常に大きい転機が目の前にあったんです。

夏選手権大会、KKコンビを擁するPL学園に東海大山形が喫した。

7対29といった毎回得点の屈辱的な大敗。どうにかならんのか。

県議会で組み入れられ、予算が付いて、渋谷良弥氏計3人の指導者が強豪校視察に回っていきます。

報徳学園、明徳義塾、最新の技術や理論を取りこみ、ネットワークを拡大する。

次には、社会人野球や、日本生命の監督となっていた佐竹政和氏を
アドバイザーに招くなどして、山形県を挙げて野球部の底上げ
強化に真剣に取り組んでいきます。

1992年夏選手権大会には、日大山形が2勝をしたり、じんわり力を付けて行く結果に。

2013年夏の選手権大会の日大山形は日大三、作新学院、明徳義塾といった
優勝経験校に打ち勝っての4強入り。

春夏通して決勝進出がない残り4県から早く殻を打ち破りたいと心がけている。

第84回選手権大会。酒田南の長谷川勇也は、2年夏から3季連続で甲子園高校野球に出場。
大学を終えてソフトバンクに入団します。

ヒーロー 長谷川勇也

2001年~2002年で、甲子園高校野球に3回出場し、3試合で11打数4安打。

2013年にパ・リーグ首位打者に輝く萌芽がありました。

「関西からだって選手が来ていてレベルが高目」と、酒田南へ進学を決定づける。

その当時の西原忠善監督は社会人野球経験で、木製バットでも適応できる
というような打ち方を教わります。

2001年夏選手権大会。
2年時の甲子園高校野球が「野球人生で一番ドキドキした」というものの、
平安(龍谷太平安)戦で二塁打と三塁打を打っています。

だけど、3回の甲子園高校野球出場にも初戦で敗退。

「山形と甲子園高校野球の格差それどころか、
山形大会で過酷な戦いから遠ざかっていたことで、ギリギリの
場面で力を発揮することができなかった、と思われます。
特に3年夏選手権大会に対戦した明徳義塾は
優勝することになりますが、これこそが高校野球トップなんだ、と
感じてしまったのです」。

そうだとしても長谷川勇也は、ここ数年の山形県勢、東北県勢は
お世辞ぬきでレベルが、上向きになっているといい、
「早く初優勝を見てみたいと思います」。

第88回選手権大会。サヨナラ勝ちで山形県勢初の8強入りを決定した日大山形の選手たち。

夢へあと1勝 米沢興譲館・米沢中央

県内市の人口ランキングは、山形、鶴岡、酒田、米沢の順ですが、
上位3市にはそれぞれの常連校があるというのに、
米沢からの甲子園高校野球出場は、1991年の米沢工が1回。

日本の公立高校としては最古の米沢興譲館は、米沢中時代に2回。

東北大会の決勝に進出。

また、プロ野球通算221勝の大投手・皆川睦雄の在籍した
1953年(当時米沢西)にも東北大会の決勝進出がありますけれど、
この場合には白石(宮城)に阻止されます。

1度目の1924年は秋田中(秋田)、1936年には県予選決勝では
勝利している山形中(山形東)と、再び決勝で競り合いし敗れる。

同じ米沢の私立、米沢中央も1984、1988、1989、1992、2013年に
準優勝が5回と、あとちょっとでした。

うち4回は日大山形、1回は東海大山形と、山形市内勢が立ちはだかります。

米沢から2校目の甲子園高校野球出場は、本当にどちらなんだろうか。

日大山形の栗原健太は2年の夏選手権大会、第80回選手権大会に出場。
初戦で敗れるが、1安打1打点の活躍。

第22回選手権大会。山形県勢の初の甲子園高校野球出場を果たす山形中。

山形県勢甲子園高校野球ベスト8以上進出校とメモリアルナイン

・日大山形 第50回選手権大会 柳橋明、小山田健一
・鶴高学園 第60回選手権大会 君島厚志
・日大山形 第80回選手権大会 栗原健太
・酒田南 第84回選手権大会 長谷川勇也、小林賢司
・酒田南 第86回選手権大会 金本明博
・日大山形 第88回選手権大会 青木優
・山形中央 第92回選手権大会 横山雄哉
・日大山形 第95回選手権大会ベスト4 庄司瑞、奥村展征

山形県

庄内平野、新庄盆地、山形盆地、米沢盆地を中心として、
庄内、最上、村山、置賜の4地域に分かれる。

それぞれ、酒井氏の庄内藩、戸沢氏新庄藩、上杉氏の米沢藩、
最上氏改易後、小藩に分かれた地域に当たる。

廃藩置県を経て、大泉、山形、新庄、米沢の3県に統合、
1875(明治8)年8月酒田県が鶴ヶ丘2県を合併して、現在の山形県が成立した。

山形県章は、山形の「山」と最上川の流れを図案化した。

最上川は米沢市の吾妻山に発し酒田市で日本海にそそぐまで県内だけを流れ、
山形県民の生活に深くかかわりを持っています。

山形県名の由来は、最上川の上流地方を山方と呼んだことから。

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