甲子園高校野球1998(平成10)年春夏神奈川県代表横浜高校

決勝ノーヒッターで幕を閉じる
春夏連覇「平成の怪物」松坂大輔。

神奈川県・横浜高校が熱烈に燃えた1998(平成10)年。

スポーツ界からでは各競技で横浜高校勢が
躍進した年の一つとして記憶される。

新春の箱根駅伝からは、
神奈川大学が総合優勝!

プロ野球だと、横浜ベイスターズが
38年ぶりの日本一を獲得する。

Jリーグでは合併消滅の決定した
横浜フリューゲルスが天皇杯で
奇跡の勝利を続行し、明け元日決戦による
優勝への望みをつないだ。

そういう「横浜の年」を春から夏に向かって
旗を振ったというのが、高校野球界きっての
名門・横浜高校。

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主役は「平成の怪物」と呼ばれていた
大エース・松坂大輔投手。

「サボリのマツ」を変貌したサヨナラ暴投

1980(昭和55)年夏、早稲田実業の1年生
エース・荒木大輔投手が甲子園球場で
大活躍した翌月に生まれ、
「大輔」と名前を付けられた松坂。

中学生ながらその名は全国区というほど、
熱狂的な勧誘により横浜高校に入学します。

けれども、入学最初の頃は「サボリのマツ」
というくらい、練習無関心で、
飛躍しきれずにいたわけです。

ところが、2年夏の神奈川県大会を自らが
暴投でサヨナラ負け。

以降は、無関心であったランニングでどの人より走り、
地味な基礎練習でも全力でトライするようになってきた。

2年秋の新しいチームの結成以降は、
無敗し続けた横浜高校は、
1998(平成10)年春第70回センバツ大会に出場。

初めての試合で、松坂大輔投手は、
甲子園球場では、高校生史上初の
球速150キロを記録しています。

剛速球ばかりか、プロレベルと称された
鋭く曲がるスライダーを強みに百戦錬磨。

5試合ひとつ残らず完投、3つが完封といった
神がかった試合内容で、センバツ優勝を成し遂げます。

59年ぶりの決勝戦ノーヒットノーラン

日本各地の高校野球児が憧れ、追われる立場になった
松坂大輔。

ですが、夏の高校野球選手権で主役の座は明け渡しません。

準々決勝のPL学園(南大阪)戦では、
延長17回、250級を1人で投げ抜き、完投勝利。

その翌日、「今日のところは投げません」と宣言で幕開けした
準決勝の明徳義塾(高知)戦では、
先手を取られていた9回表にマウンドへ。

3者凡退に打ち取ると試合の状況は、
横浜高校へと入れ替わって、
軌跡の逆転勝利を呼び込んだといえます。

次なる決勝の京都成章(京都)戦では、
1979(昭和14)年の海草中(現・向陽 和歌山県)の
嶋 清一(しま せいいち)以来59年ぶりの
「決勝戦ノーヒットノーラン」で、史上5校目です
春夏連覇達成といった幕を閉じる。

そのような松坂大輔に感化されるふうに、
この世代の球児たちからは、
プロ野球界を背負って立つ選手が
ぞくぞく誕生します。

「松坂世代」としプロ野球界を長く引っ張ることに。

1980(昭和55)年夏、1981(昭和56)年春夏、1982(昭和57)年春夏 東東京代表・早稲田実業

名門校の1年生エースが甲子園球場を沸かせたのは、
1980(昭和55)年夏第62回甲子園高校野球選手権。

ヒーローの名は、早稲田実業(東東京)の
荒木大輔投手です。

美男子で1年生のはずがない快投の連続は、
甲子園球場に「大ちゃんフィーバー」といった
一大旋風を巻き起こしたのです。

決勝まで44回1/3無失点

東東京大会で好投を見せていたところで、
実際のところは負傷したエースの代投です。

初めの頃、甲子園球場にやって来た
荒木大輔投手の評判は、それほど高くなかったのです。

そのことが大きく変化したのが初戦のマウンド。

地方大会でのチーム打率が出場校中最高といった
強打を誇った優勝候補の北陽(大阪)を相手にして、
1安打完封勝利。

この試合をもちまして、甲子園球場は、
荒木大輔に夢中になっていくわけです。

続く2回戦は8回3分の1を投げ込み、
3安打無失点の成績。

3回戦から準決勝は3試合連続完封。

計5試合で44回3分の1の連続無失点といった
他に類を見ないピッチングで、決勝戦進出の
パワーの源になった荒木大輔投手。

甲子園球場高校野球大会記録だという、
「45イニング連続無失点」の刷新。

それから、名門・早稲田実業にすれば悲願の
夏初制覇へ。

2つの偉業をかけて、決勝のマウンドに挑戦していく。

決勝の相手は、甲子園高校野球大会指折りの
左腕・愛甲猛を擁した横浜高校(神奈川県)。

荒木大輔投手はこの決勝戦、
あっさりと1回裏に失点しまったせいで、
連続無失点記録は止まります。

それ以後もそう簡単には立て直しが無理で、
3回5失点で途中降板するのです。

早稲田実業も4対6で敗れ、準優勝に終ります。

そうは言っても、1年生らしいういういしさと、
その上フィットしない、緩急を組み合わせた大人の配球。

または清々しい気分の笑顔は、あっという間に
全国各地に女性ファンを手に入れたワケです。

「大輔旋風」から「大輔旋風」へ

荒木大輔投手は、それから、3年夏まで5季連続で
甲子園球場に出場することになる。

そういった荒木大輔をひと目見るために、
甲子園人気は以前にも増して高まりを見せます。

荒木大輔ラストの夏、どうやっても手に入れたい
優勝旗をかけて挑戦した1982(昭和57)年の
甲子園高校野球選手権では、準決勝で
「やまびこ打線」と恐れられた
県立池田高等学校(徳島)と試合しているのです。

2対14といった大敗を喫し、荒木大輔投手の
甲子園球場を巡る冒険は終幕を告げるのです。

けれども、これは次にやってくる甲子園物語にプロローグ。

この当時、荒木人気を大活躍にあやかろうと、
「大輔」と名付けられる男の子が次から次に登場します。

その1人が、のちに甲子園のヒーローである
松坂大輔投手。

皮肉なことに、荒木大輔を以前打ち破った
横浜高校に入学し、1998(平成10)年の
甲子園でもう一度「大輔旋風」を
巻き起こすことになります。

1998(平成10)年夏 横浜高校 vs PL学園

平成の甲子園球場、伝統の死闘と言われる名勝負。

1998年夏第80回甲子園高校野球選手権準々決勝
横浜高校(神奈川県)とPL学園高等学校(南大阪)の一戦です。

両校は、1998年甲子園高校野球センバツの
準決勝でも対戦を行います。

PL学園が7回まで2点リードをしつつ、
8回、9回の攻撃で横浜高校が逆転勝利しています。

ですが、大会が終ってみると、頂点に立った
横浜高校が唯一無二苦しんだのがこのPL学園戦になる。

センバツでも無敗でここまでやって来た
王者・横浜高校を苦しめるとしたら、ふさわしい相手は、
PL学園では? そのような予感があったせいで、
甲子園球場は早朝から大観客を呑み込んでいく結果に。

観察力で松坂大輔を克服したPL学園

午前8時30分に幕開けした、
横浜高校対PL学園の準々決勝、リードしたのは、
センバツと同じ様にPL学園です。

2回に一挙3点を奪い取る。
このようにして試合の流れを引き寄せるのです。

横浜高校のエース松坂大輔投手が、1イニングに2点以上
取られたことは、今回の大会では初めてになります。

予想を裏切る大量失点に揺れる横浜高校ナインに対し、
PL学園はそれからも追加点を重ねて試合をうまく進めます。

ここまでどこの高校もひっくり返すことが不可能だった
松坂大輔投手を、なぜなの? PL学園打線は
これ程まで克服することが出来たのでしょうか?

この理由はPL学園の”観察力”によるものでした。
松坂大輔のスライダーがあり得ないほど曲がりすぎるので、
受け取るキャッチャーのポーズがストレートと
スライダーと比べれば、わずか変化する動作を見つけます。

こういった観察力で狙いを絞れて、
松坂大輔投手の球を打つことに結果を残したのです。

ですが、思った通り王者・横浜高校です。
4回、5回に2点ずつ返して同点にしていきます。

後から、さらにリードされても
大詰め8回に同点に追いつき、5対5で延長戦になだれ込みます。

横浜高校 vs PL延長17回3時間37分 松坂熱投250球

延長戦からずっと横浜高校のペースで試合が進行します。

11回表、16回表と横浜高校が得点するわけですが、
その裏の攻撃でPL学園も追いつき、
試合はどうにも決着しません。

PL学園のエースで7回からマウンドに上がった
上重聡投手も死に物狂いで横浜高校打線を抑えてます。

しかしながら、延長17回表に横浜高校が2点を勝ち越すと、
その裏の守りを松坂大輔投手が、三者凡退に仕留め、
3時間37分にわたった総力戦は、9対7で横浜高校が勝利!

宿敵を倒すために松坂大輔投手が投げた球数が、
250球に及んでます。

明日の準決勝で松坂大輔投手は、
奇跡の大逆転をもたらすリリーフ登板。

それから、決勝ではノーヒットノーランで、
1998年春夏連覇を達成。

PLとの総力戦から継続した連投は、
松坂大輔投手の名声をもっと高めて、
「平成の怪物」と言われるようになったわけです。

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