2006(平成18)年夏第88回高校野球選手権決勝 駒大苫小牧・田中将大 vs 早稲田実業・斎藤佑樹

全国制覇をかけた決勝戦で「引分け再試合」は、
甲子園高校野球歴史上でたった2回だけ。

1度目は、1969(昭和44)年
夏第51回選手権大会決勝、
松山商(愛媛)と三沢校(青森)の一戦。

2度目が、2006(平成18)年
夏第88回選手権大会決勝、
駒澤大学附属苫小牧高等学校と
早稲田実業学校(西東京)との試合。

史上2校目の「夏3連覇」を目指す駒大苫小牧の
田中将大(たなか まさひろ)投手と27回目の出場で
夏初制覇を狙った早稲田実業の
斎藤佑樹(さいとう ゆうき)投手での、
凄まじい投手戦が展開されました。

世代最強エース、田中将大 vs スタミナの鬼、斎藤佑樹

田中将大と言ったら、2005(平成17)年
夏第87回選手権大会の決勝でも登板し、
2年生ながらも優勝投手を成し遂げた「世代最強エース」。

斎藤佑樹は、第86回選手権大会で
輝かしく人気を博した存在です。

一回戦から準決勝まで5試合を
たいてい完投し投げ込むごとに
球威を増すスタミナがあっぱれだったのです。

迎えた決勝は予測通りの
投手戦になって1対1で延長戦へ。

斎藤佑樹からすれば
一番のピンチは延長11回表、1死満塁のシーン。

攻め込む駒大苫小牧はスクイズを選びながらも、
斎藤佑樹投手がスクイズを落ち着いて見破り、
意図してワンバンドとなるボール球で空振り。

最悪の状況を脱したんです。

その後、規定によって延長15回、
1対1の引分けで次の日の再試合へ。

斎藤佑樹がこの日投げた球数は178球。

その中でも何にもまして速い球は、
15回表、ラストの打者に投げた147キロ。

甲子園球場の観客にとどまらず、
全国各地がそのスタミナに酔いしれました。

斎藤佑樹948球目は打者・田中将大にストレート

決勝再試合直前の大半の予測は、
駒大苫小牧が有利に。

第一の理由は、
疲労度の差ではないでしょうか。

斎藤佑樹は、当日が4日連続の登板で、
それだけでなく大会7試合目です。

片方の田中将大も連投だとは言え、
この日が6試合目。

リリーフ登板があったことから、
斎藤佑樹に比べて球数は目に見えて少なかったためです。

しかしながら、試合がスタートすると軽やかな動きを
魅せたのは斎藤佑樹投手です。

投げるごとに球速とキレは増し、
駒大苫小牧打線を寄せつけない。

8回が終わって4対1と早稲田実業がリードし、
最終回へ。

9回表、王者・駒大苫小牧もプライドをさらけ出して、
3番の2ランで1点差へと詰め寄ります。

しかしながら、斎藤佑樹投手は続く4番・5番を
打ちとって獲得したかった優勝旗まで後1人です。

その迎える打者とは、田中将大投手。

1ボール2ストライクからの7球目、
この日の118球目、決勝試合で296球目、
甲子園球場での948球目、
斎藤佑樹投手の投げた球はストレートです。

フルスイング行なった田中将大投手の
バットは空を切り、ゲームセット。

勝って涙を流す斎藤佑樹投手と
負けて笑顔を見せたの田中将大投手。

それらのコントラストが甲子園球場の
夏の究極的な余韻となっていました。

2004(平成16)年夏第86回選手権大会、2005(平成17)年夏第87回選手権大会の夏連覇優勝校 南北海道代表・駒大苫小牧

雪国の高校は甲子園球場では互角には戦えない、
高校野球にてのそういった「定義」に打ち勝ったということが、
南北海道代表・駒大苫小牧です。

2004(平成16)年
夏第86回甲子園高校野球選手権大会で、
初出場を達成しています。

関東より北となる高校が優勝したというのは、
春夏を通じてこれまでにない偉業でした。

雪上ノックで道を極めた甲子園高校野球初優勝

2004(平成16)年夏当初、
甲子園球場の主役は済実(愛媛)。

同年春、創部3年目による
センバツ初出場初優勝を成し遂げる。

夏の選手大会で、
史上初の『初出場春夏連覇』がかかっていたのです。

済美はその狙い通りに、決勝戦に進出しています。

迎えた相手校は、
「北海道勢初優勝」といった偉業に挑みます。

強打が抜群の駒大苫小牧校です。

試合は歴史に名を残す打ち合いとなる、
5回が終わって6対6の同点です。

6回表に済美が3点勝ち越したと振り返れば、
その裏、駒大苫小牧もすばやく追いつき同点に。

両チーム合計すると39本のヒットが
乱れ飛ぶ打撃戦に勝利したのが、駒大苫小牧です。

13対10で凄まじい打ち合いを制し、
深紅の大優勝旗を北の大地にもたらす偉業を達成しています。

決勝戦での両チーム2ケタ得点は
甲子園高校野球大会史上初です。

駒大苫小牧をパワーアップさせたのは、
1995(平成7)年に赴任した
香田誉士史(こうだ よしふみ)監督。

1994(平成6)年
夏第76回甲子園高校野球選手権を制覇した、
佐賀県立佐賀商業高等学校(佐賀)の
臨時コーチでした知将は、
雪国もハンデを逆手に取った
「雪上ノック」を考案します。

固く踏みしめた雪の上でノックをやっていけば、
打球は速く、バウンドは不規則になります。

広い練習場も手に入れることができ、
冬の間おろそかになる雪国の高校が、
この雪上ノックで、守備力が
向上させたことだけじゃありませんでした。

下半身も強化され安定性もつき、
攻撃力も同時に磨きのかかったという副産物も手にします。

2004(平成16)年夏の選手権大会での
駒大苫小牧のチーム打率.448は、
歴代1位の大記録を達成します。

夏連覇をもたらした
駒大苫小牧2年生エース、田中将大

北海道勢初優勝の快挙。

その瞬間をアルプススタンドで
目に焼き付けた球児がいるのです。

その当時同校の1年生だった田中将大です。

秋過ぎてからの新チームは、
捕手として頭角を現し、
それ以後投手へと転向する。

翌2005(平成17)年
春第77回甲子園高校野球センバツ大会で、
甲子園球場のマウンドを経験すると、
5ヵ月後の夏第87回甲子園高校野球大会では、
エース格として甲子園球場に帰還。

先発リリーフでパワー全開でチームに貢献し、
決勝戦へと勝ち歩を進めます。

迎えた京都外大西(京都)との決勝戦。

5回途中からリリーフ登板した田中将大は、
最終回のマウンドで3者連続三振。

優勝を確定したフィニッシュの球は、
人生初の150キロを測定する。

史上5校目になった夏連覇で優勝旗を
北の大地へと持ち帰り、史上2校目の夏3連覇といった
大偉業を目指すというわけです。

2004(平成16)年春第76回センバツ大会初出場初優勝 愛媛県代表・済美高等学校 上甲正典(じょうこう まさのり)監督

初出場初優勝。

ファンが好きな甘美な響きを持っており、軌跡の賜物。

「ミラクル」を2度も引き起こしたのが、
愛媛県の宇和島東と済美を率いた上甲正典監督です。

特に2度目の快挙、2004(平成16)年
春第76回センバツ大会での戦いぶりは
「ミラクル済美」として伝承されています。

その理由の1つは、済美がその当時、
野球部創部からわずか3年目での出場となったのです。

済美が勝って歌い上げる校歌には、
「やればできるは魔法の合言葉」の歌詞の様に、
“やればできる”選手たちが、魔法の
ミラクルを甲子園球場で巻き起こしたのです。

野球部創部2年でものにしたセンバツ大会初出場

1988(昭和63)年
春第60回甲子園高校野球センバツ大会で、
母校・宇和島東を初出場初優勝に導いた上甲正典監督。

ですが、2001(平成13)に
奥様を亡くしたダメージから監督を辞任いたします。

そのようなときに声をかけたのが、
2002(平成14)年の男女共学化を機会に
野球部を創部したばっかりの済美だった。

最初は、繰り返しお断りをしていました、
上甲正典氏であった。
「うちの人から野球を取ったら何が残るの?」といった
奥様のお言葉を回想し、就任を応じる結果に。

そうすると、上甲正典監督が指導すると聞きつけ、
実績が何もあるはずない学校にかかわらず、
のちにプロ野球界に在籍する高橋勇丞(たかはし ゆうすけ)、
鵜久森淳志(うぐもり あつし)、
1年遅れて福井優也(ふくい ゆうや)と
将来的に望みのある選手が続けざまに集結したのです。

わずか2年でセンバツ大会出場のキップを手に入れました。

2校で優勝は史上3人目の名将

2004(平成16)年
春第76回甲子園高校野球センバツ大会に出場した済美は、
4番・鵜久森淳志のホームランで1回戦を9対0と大勝。

2回戦もセンバツ大会優勝を4回数える
名門・東邦高等学校(愛知)を相手に1対0で勝ち歩を進めます。

2年生エース・福井は2試合連続完封勝利を手にします。

続く準々決勝の相手は、前年度甲子園球場で準優勝して、
今回の大会でも1回戦でノーヒットノーランを演じた
ダルビッシュ有擁する東北(宮城)です。

しかしながら、そのダルビッシュ有が右肩の痛みで
登板できかねる運も手を差し伸べ、最後は高橋の驚異的な
逆転サヨナラ3ランが飛び出し、7対6で勝ち越します。

準決勝の明徳義塾(高知)戦は7対6、
1点差で勝利して、決勝に進出をやり遂げる済美です。

決勝は、強豪チーム・愛工大名電(愛知)に
6対5と1点差で勝ち取ります。

このようにして済美と上甲正典監督は、
大会5試合中4試合が1点差といった劇的な勝利ばっかりで、
創部わずか3年目での
「センバツ大会初出場初優勝」を達成しているのです。

紫紺の優勝旗を受け取ります。

監督となってまったく違う2つの学校を
甲子園高校野球優勝に導いたのって、
原貢氏、木内幸男氏に続いて、史上3人目の快挙です!

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